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歌手を目指す人間が【BLUE GIANT】を観たら何を思うか。

BLUE GIANT という映画を見た。
ジャズを題材にした映画なのだが、これが物の見事に心にぶっ刺さった。

主人公に自分を重ねるのではなく、私が自分を重ねたのはピアニストの雪祈という青年だ。
この青年はピアニストとしてのレベルはもちろん高い。
だが器用にこなせる分、自分の殻を破ることに少しの恐怖があるように感じた。

とあるライブでの演奏で「上手くみせること」だけに気合いを入れた雪祈のプレイは【面白くない】と評価されてしまう。

そこが今の自分と重なった部分。

私の感覚は「上手く歌う」ことに意識を持っていかれて、歌声を自分のコントロール下におこうとしている感じ。

でもその後、雪祈は海外ミュージシャンの来日公演で急遽出演出来なくなったピアニストの代わりに演奏することになる。

そこでコントロールしようとするのではなく、ただただ自分の感じるままに弾くことで殻を破ることに成功する。

ここで私は感じたのだ。

私は上手く歌うために歌声をコントロール下に置いているが、本当なら感覚で歌うのが正解なのではないか。

私も事務所に所属してレッスンを重ねる内に、歌っている際に胸の奥から湧き上がる感覚があるのだ。

胸の奥から自然と湧き上がってくる感覚。

でもこれを歌にのせると、上手くコントロールが出来ない。
だから上手くコントロールするために、湧き上がる感情に蓋をする。

今までの歌い方はこうだった。

そこで試しに感情を思いっきりのせてみることにした。
最初は上手くコントロール出来なかった。
裏声に移動すれば声が掠れたり、裏返ったりしてしまう。

でもそれを線路を引くように正すのではなく、添え木をするようにそっと歌声に寄り添う。

言葉にするとなると難しいな。

感情をコントロールに寄せるのではなく、感情に寄せたコントロールをする…

強く出したいけど上手く歌えないから声を弱くするのではなく、強く出すために調整する…

そんなイメージだろうか。

少し調整に時間はかかったが、ある程度上手くコントロール出来るようになってきていると思う。

そして私はどうしても苦手な感情がある。

【めちゃくちゃ楽しい】【めちゃくちゃ明るい】または【めちゃくちゃ激しい感情】が苦手なのだ。

でもそういう曲も少なくはない。

私がいつも参考にさせて頂いているオペラ歌手の方が「感情が動いたときの筋肉の動きを表現することで、そのときの感情を再現する」というようなことを仰られていた。

それを見たときから自分にその感情がない、または苦手な場合はどうしたらいいのかをずっと考えていた。

そこで考えたのが【近い感情】で誤魔化す、ということだ。

苦手な激しい感情の曲を歌うときに、自分が分かる感情で歌ってみて近いもので代用する。
別に本当にそのものである必要はないのだ。

だって他の人にはどんな感情で歌っているかなんて分かりっこない。
だから私の場合は、強い信念を感じさせる曲でも楽しいと感じながら歌うこともある。

まだまだ未熟だからこそ表現の狭さに繋がっている訳だが、今は表現の自由、ということにしておこう。

これからもどんどん進化して、変幻自在の表現力を身につけていこうと思う。


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