頑張る理由が「評価されたい」だけだったら、きっとこんな頑張れない。
誰かに評価されたくてがんばっているわけではないけれど、いざ褒められると嬉しいものですね。会社で新しく360度評価システムが導入された。一緒に働いている仲間がランダムで指名され、匿名で本人に評価を渡す仕組み。すでに多くの企業に導入されているらしいけれど、うちの会社では初めて。つい先ほど合計8名からの評価一覧を見て、心があたたまってしまった。
それにしても7項目評価で平均4.9/5.0点という数字は、ちょっと出来過ぎだろう。
みなさんからいただいた言葉を丁寧に掬い取って、抱きしめるように身体に流し込む。さまざまな人たちの大切な時間と貴重な力をお借りして、いまの僕と仕事はできている。だから僕という存在が、ちょっぴり有難いものに思えていく。そう思わせてくれるみんなへの感謝を忘れたくない。
評価されたくてがんばっていたら、たぶんこんなにがんばれない。いい仕事をつくりたい。いい時間を過ごしたい。いい気づきを世の中に届けたい。いい機会を仲間に贈りたい。できるだけたくさんの「いい」が降り積もるよう、ただ真剣に生きている。その結果がこうした評価につながるのなら、俺もまだ捨てたもんじゃないよなと思えることが嬉しい。
仕事をしていて一番うれしいときってどんなときですか。
そんな質問を就活生からたまにうける。僕の答えは決まって「チーム全員が愛を持って企画に携わっているとき」。その仕事が好きでたまらなくて、だから全員が自分の役割を超えた働きをしてしまう。まるで文化祭みたい。大人の青春だと思う。そういうときは決まって、自分の想像を遥かに超えたものが生まれる。予想もできなかった反響が世の中から巻き起こる。そんな光景と何度も出会いなおすために、仕事というのはあるのだと思う。
最近いちばん意識しているのは、誰かの成長する機会を奪わないこと。自分でできるとわかりきっていることを率先してやる、ということは、そのぶん仲間がやることで成長するかもしれなかった機会を奪うことに他ならない。完成品を世の中に送り出すよりも、未完成のまま差し出すことで、地域の人や子供達が参加して人生を変えるきっかけになるかもしれない。パートナー会社の人にもなるべく若い子を下につけて、失敗してもいいから任せてみてくださいとお願いするようにしている。
仕事というのは、関わった人の時間と労力でできている。都合よく消費するのではなく、せっかくなら成長する機会にしたいと願うように思う。