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他殺願望と自殺未遂、生きると死ぬの境界線

誰かぼくを殺してください。ただし痛いのは嫌です。

ずっと長いこと、他殺願望を抱えて生きてきた。授業の合間に。学校の帰り道に。どうしようもなく湧いてきては、何も起きない現実に絶望した。いま世界のどこかで死にかけている少女と命を交換できたのなら、どんなにいいだろう。叶いもしない妄想を巡らせる瞬間だけは上を向き、ふと我に帰ってはうな垂れて帰路についた。

親が毎日義務のように喧嘩をするようになったのは、僕が中学生の頃からだったと記憶している。何がキッカケだったのか…いまとなっては確かめようも無い。


ある日のことだった。夜遊びして帰ってきた父のニヤケ顔をみて、母は彼のために作り置いた夕飯を床にぶちまけた。

ある日のことだった。父は引きちぎった洗濯物を手に「てめえらも手伝えよ!」と子供たちの部屋に怒鳴り込んできた。

ある日のことだった。怒号と、お皿の割れる音と、壊れるほど強く閉めたドアの音が家中をこだまして、リビングの真上に位置する部屋で僕は床に耳を押し当てながら、この嵐が過ぎ去るのをひたすらに祈っていた。

ある日のことだった。親が寝静まった夜、子供部屋に兄弟3人ともあつまって、もし離婚したらどっちの親につくべきかを議論していた。

ある日のことだった。年が明けて間もないリビングのソファでニヤける母のスマホを覗き込んだら、知らない男にLINEスタンプを送っていた。

ある日のことだった。「お前を本当の息子だと思って接してきたよ」と父が僕に向かって泣き喚いた。床には叩きつけられた精神安定剤が転がっていた。

ある日のことだった。まっしろな世界で母が父の大切にする何かを叩き壊し、父はこの世のものと思えない金切り声をあげた。一拍おいて、母の叫びが聞こえた。包丁を握りしめた父が、布団でうずくまる僕の喉元を掴んだところで目を覚ました。

母はヒステリックで、父は不器用だった。そんな二人が奏でる家庭の不協和音に、僕ら子供はずっと怯えていた。学校からの帰り道、いったい何度、最悪の事態をシミュレーションしただろう。想像の中で僕は僕を何回だって殺した。ブックオフで自殺マニュアルを立ち読みし、最高の死に方は一酸化炭素中毒だと結論づけた。血がピンク色に染まって美しいから。

それでも自殺できなかったのは、死んだ後の世界のことまで心配していたから。僕が死んだら母はどうやって暮らすのだろう。妹はどれだけショックを受けるのだろう。葬式の手配は誰がしてくれるのだろう。答えのない問いばかりが脳内を暴れまわり、頭がおかしくなりそうだった。

いや、すでに壊れていたのかもしれない。誰か殺してください。ふと声に出してつぶやく日が増えていた。つまり自分で死ぬ勇気はないのだ。ここから抜け出す方法は、誰かに殺してもらうことだけだと、本気で信じていた。いま思うと本当に良い迷惑な発想だ。

いまでもはっきり覚えている。大学1年生の秋、JR横浜線の菊名駅。ねずみ色からだいだい色に染まりゆく住宅街を駅のホームで眺めながら、僕はぼんやりと立ち尽くしていた。西日を遮るように、遠くのほうから帰りの電車がやってくる。僕はゆっくりと歩き出していた。線路のほうへ。

あと一歩で、落ちる。あと数秒で、楽になれる。

寸前で我に帰ってしまったのは、電車に乗る人たちへの迷惑が頭をよぎったからだった。いったいどこまで真面目なんだ、と呆れているうちに、電車はすっかりホームに滑り込んでしまった。開いたドアの内側で佇む女性と目が合う(白いコートを着ていた)。閉まるドアが目線を遮り、ふたたび西日を浴びて走り出す電車がやけに美しかった。

その瞬間、僕の中で刻まれた、確かな境界線。"これ以上、面倒くさくなったら死ねばいい。" 僕という生きものは結局、真面目に生きることをやめられなかった。だから悩むし、他人の迷惑も配慮してしまう。でも、それさえも考えるのが面倒くさくなったとき、僕はきちんと死ねるとおもった。もう何も考えられなくなったら死ねばいいし、まだ考えられる余裕があるうちは生きればいい。

こんな単純なこと、なんで気づかなかったのだろう。何か素晴らしいものを発明した気分だった。視界はすっかり晴れていた。夕日に染まった世界がやけにキラキラ輝いてみえた。

「お前に話さなければならないことがある。」

大学1年生の冬、親にいつになく真剣な顔で言われ、安心が不安をまさった。離婚しようと思う。思いつめた表情で告白する親にむかって「親というよりは二人の男女として、幸せな道を選んでください」とだけ伝えた。「もっと相談してくれてよかったのに」とだけ、付け加えるのを忘れずに。

お前がそんなに大人だなんて思わなかった。そう言って母は涙ぐんだ。母さん、僕はこんな風になりたくてなったわけじゃないよ。押し殺した声が、胸の内側ですすり泣く。妹だけが、嫌だ、と声に出して泣きじゃくった。彼女の強さと純粋さを羨ましく思った。

あれから10年が経った。他殺願望も自殺未遂も、綺麗さっぱりなくなった。今だったらわかることも、10年後に広がっている景色も、あの頃の自分にはどれも信じられないだろう。だからもしあの時の自分に会いに行けたとして、できることは何もない。

大丈夫、何も間違っていないから。そのまま、生きてください。真剣なまま、生き続けてください。

そう遠くから眺めるだろう。そんな未来にたどり着けてよかった。すべての自分に感謝している。

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