はちどりのひとしずく
連日の報道の通り、オーストラリアで続いている大規模な森林火災によって様々な生態系破壊や絶滅の可能性が危惧されている。特にシドニーのあるニューサウスウェールズ州の火災が深刻で、同州だけで5億匹近い動物が死んだと推計されているらしい。
野生の固有種の宝庫として知られる観光名所カンガルー島は3分の1が焼失し、この島だけで2万5000頭のコアラが死亡。一部ではコアラ絶滅の可能性まで報道されている。同州のコアラ病院がクラウドファンディングで募金を集めたところ、2万5000ドルの目標に対しおよそ600万ドル集まったそうだ。
日本人にとって、コアラとパンダとペンギンは特別な生き物だと思う。子供菓子で有名なコアラのマーチは、1984年10月にコアラがオーストラリアから初来日するという情報を当時の担当者が入手しコアラブームを確信、コアラをキャラクターとしてお菓子にプリントすることを考えついたそうだ。パンダは相変わらず上野動物園でのんびり過ごしているけれど、長蛇の列が絶えるのを見たことがない。ペンギンの必死に生きるたどたどしさは、「わたしが面倒見ないと!」という母性本能を根元から揺さぶられる感じがする。
こうした環境問題全般への関心が高まったのは、良くも悪くもグレタさんの報道が日本中でなされて以降な気がする。そこに小泉環境大臣の就任という政治分野の動きもあれば、SDGsという経済文脈でのトレンド、さらに紙ストローが様々な飲食店で一斉に導入された。人は異なる3つの情報経路から同じ話を聞くと「いまこれがキテる」と信じてしまう生き物だ(とおもう)。日本でもようやく環境問題の意識が高まりつつあるけれど、それでも欧米諸国とは比にならない。
この手の問題を見聞きしたときにどうしても気になってしまうのが、強い口調で正しい行動を強いる人たちの存在。駅前で貧困問題の寄付を呼びかける人たちを想像してもらえると話が早い。あるいはSNSで選挙投票を呼びかける人たちでもいい。彼ら彼女らは怒っている。この現状に。振り向かない人々に。その口調はますます強くなり、行動しないものたちに人間失格のレッテルを貼りつけて罪悪感を植え付ける。背後には悲壮感と使命感が立ち込めている。
そんなものをかざして、これまで動かなかった人たちが本当に動くと思っているのだろうか。といった冷静な判断を彼ら彼女らは持ち合わせない。かつて自分たちが初めて動いたのは、怒りや悲しみではなく、ちょっとしたノリや勢いや周囲の優しい眼差しだったことをもう思い出せない。そうして社会に新たな分断が生まれていく。
詰まるところ自分がコントロールできるのは、自分の意志と行動だけだ。だから自分のやれることを粛々とやる。やり続ける。その束が周囲を動かすキッカケに、社会にうねりを起こすエネルギーになるのではないか。
思い出す一篇の物語がある。「はちどりのひとしずく」というほんとうに短い話をご存知だろうか。こんな世の中だからこそ、全国民に読んでほしいと感じる。
たとえ周りに認められなくても、自分が大切だと信じるものを、大切にし切る生き様。それこそが、見るものの心を深く打つ唯一の方法と信じて、僕は僕の大切だと信じるものを大切にしたいと思う。