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感動の履歴書をつけよう。

12月末、多くの社員が辞めた。その中には「レジェンド社員」ともいうべき、広告クリエイターであれば誰もが知っている人も含まれる。特に尊敬するTさんが、会社に残る社員に向けた最後の講演会を開くというので参加した。テーマは「学び方の学び方」だった。

広告とは平たく言えば、人の心を動かす仕事だ。他人の心をどう動かすか。ヒントは「自分の心が動いた瞬間にある」とTさんは語る。

つまり、自分がいつ感動したか。心がじんわりと暖かくなったとか、あの光景が目に焼き付いて離れないとか、何かを殴りたくなるほどイライラしたとか。心の動きはポジティブでもネガティブでもいい。その感動を記録する。その経験がいつか企画に生きる。

Tさんはそう言いながら、実際の感動経験から生まれた事例を紹介していく。「この感動からこの企画がつくれるの?!」と、正直僕のレベルではショックを受けてしまうのだけれど、事実なのだから仕方がない。

一方で、他人の心を動かすヒントは自分の中にある、という考え方自体は、僕自身が大切にしていることでもあった。僕らはきっと、僕らが思うほど別々の生き物じゃない。そんな人間観を根底に持っているからこそ納得できる話だった。

いつ、自分は感動するのか。
なぜ、自分は感動したのか。

今年から「感動の履歴書」を丁寧につけよう。

そう意識してここ数日過ごしてみたら、意外に感動しているものだな、と少しだけ自分自身に感動した。この歳にもなると感動する機会はめっきり減るな、と思っていたから。

大晦日、家族みんなで祖父母のお墓参りに行った。雪の降りしきる中、せっせと手分けしてお墓を掃除をしていたとき、なぜかお墓の中の祖父母の目線を体感した。
一歩も動けない自分に変わって、子どもたちが寒さに震えながらお墓を綺麗にしてくれている。そんなことが連綿と繰り返されてきた、という小さくて偉大な事実に、静かな感動が胸をよぎったのだった。

元旦、家族みんなで近くの神社へ初詣に行った。愛犬のコッペは道のそこらじゅうで立ち止まっては匂いを嗅ぎ、マーキングを繰り返す。半ば呆れながらも、元日にしてはあたたかい日差しを楽しんだ。
帰りは公園に立ち寄った。駆け回る愛犬、それを笑いながら眺める家族。唐突な多幸感が胸を襲った。見てるか、家族問題で死にかけていた、5年前の僕。嘘みたいな現実が待ち受けているぞ。
1年に1度はこういう日があっていいよな、と思うと同時に、なぜ何度も求めないのだろうと不思議に思った。僕はもう少し、幸せを欲張っていい。

そして今日は、渋滞に呑まれながら御殿場アウトレット行きのバスに揺られている。この2日間と比べると、感動への予感は随分とサイズダウンしてしまうのだけれど。でもまあ、期待しているよ。

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