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しいんとした時間
今朝、沖縄に住む友人から小包みが届いた。中身は手紙の入った封筒と、オシャレなコーヒーにチョコレート。それと謎のキーホルダー。
前にも書いたように、彼女とは一緒にこのブログをはじめた。お互いとも全世界に向けて発信してはいるけれど、少なくとも僕にとって、想定読者は彼女ただひとりだった。その彼女が手紙に切り替えるというので、これはその一通目。便箋が四枚も入っていたので少し身構えたのだが、うち三枚は手紙を書くことの戸惑い感想文とお土産の説明文だった。
使い慣れない万年筆。滲むインク。頼りなくて几帳面な文字。
手書きの文字は、世界にたったひとつのフォントだと思う。
手紙の最後のほうで「意識してしあわせだと思わなくても、自然にそう感じられるような毎日であったらいいなあ」という一文を見たとき、ふっと時間が止まった。大切な人が時間をかけて書いてくれた手紙。自分を思って選ばれたコーヒーとチョコレートの香り。それと謎のキーホルダー。ああ、今この瞬間のことか。言葉の意味がしみじみと染み渡る。
この感覚、最近も感じたなあと思い出す。ああそうか。手紙は雪と似ているのか。
おととい、東京でも雪が降った。喧騒に囲まれた駅から一歩抜け出せば、まっしろな雪がしんしんと降り注いでいる。その瞬間に立ち会えることは、僕のひそやかな冬の楽しみのひとつだった。
雪は音を吸い込み、人は足を止める。忙しない僕らは空を見上げ、世界の美しさに小さく感動する。そして東京に、しいんとした時間が流れる。その不思議な感覚は手紙と似ていると思う。
きっと人は誰しも、そういう「しいんとした時間」を持つべきなのだ。
だなんて、主語をわざわざ大きくして語る必要はないのか。少なくとも今の僕にとってはとても価値のある、“自分を大切にしてもらえている実感”をプレゼントしてもらえた時間のように思われたのでした。
20代前半の頃は、こういう種類の時間の価値がわからなかったなあとつくづく思う。あの頃はいつも上だけを見据えて、上昇気流に乗っかって。焦って急いで何かと競争していた。それを楽しめていたし、若い頃はそれでいいのだと思う。
けれど、歳なんですかね。今はもうそのスピードでは頑張れない。そのことにまず身体が気づきはじめて、少しずつ上手な休み方を覚えながら、ゆっくりと感覚が追いついていく。
このブログは勢いではじめて、毎日書くリズムも定着したから、きっと100日続けることもできるのだろうけれど。なんとなく一巡した感覚があるし、そもそもたったひとりに向けて書いているのだし、その人が書いた手紙で「しいんとした時間」をもらえたから。
僕もそのお返しをすることに集中したい気分なので、今日でブログ更新を終わります。でもまたひょっこり、書く日が来るかもしれません。そのときはあたたかく見守ってあげてください。