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漫画と写真は似ている〜ハイキューの名場面を例に〜

僕はアニメよりも漫画のほうが好きだ。アニメ化すると原作のイメージが壊れる云々の話ではなく、純粋に表現媒体として漫画のほうがグッとくる。

たとえばこのシーン。名作漫画「ハイキュー」にて、うまくなりたくてもがく山口が、うまいのに本気を出さない月島と衝突する、あの伝説の場面。

<漫画>

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<アニメ>

なんだろう、アニメのこの、物足りない感じ。一番見せたくて聞かせたかった山口の「プライド以外に何が要るんだ!!!」の鬼気迫るセリフと表情が、アニメではあっさりと流されてしまう悔しさ。もっと心に刻み込んでよ!と寂しさに似た怒りがこみ上げる。

当然漫画は静止画だから、コマをひとつひとつ脳内でつなぎあわせながら時間を動かしていく。しかし「名シーン」と呼ばれる類のコマでは、思わず読者の手が止まる。仮に現実でそれが起きたとき、“本当に時が止まったかのように感じる"のと似ている。あの感覚がアニメだと失われてしまうのが歯痒い。

退屈な授業ではいつまで経っても時計が進まず、スリリングな小説を読み出すとあっという間に夜が更けこむように。そして大切な人を失った瞬間は、自分の内側で永遠に時を止めて刻まれるように。概念としての時間は流れても、体感としての時間は伸び縮みする。その度合いは人それぞれ異なるけれど、漫画の場合、それを自分で調整できるから各々のペースでじっくり味わえる。だから心に深く刻まれて「名シーン」と呼ばれる滞空時間の長い景色をみんなが共有する。

けれどアニメなどの動画コンテンツでは、製作者の体感時間に合わせるより他ない。その人にとっては十分な描写でも、僕にとっては全くの不十分なのだ。そのズレが気持ち悪いからアニメがなかなか観られない。逆にアニメ原作なら観れるという感じ。
(ちなみに山口が叫ぶシーンをジャンプで読んだ際、ページをめくる手が10秒くらい止まった記憶がある。それくらい濃密な一瞬を味あわせてもらった。)

話は写真に移る。前述の漫画とアニメの関係は、写真と動画に似ているようにおもう。僕は写真を病的に撮るけれど、動画は撮らない。永遠のような一瞬を収めたいから。そして、見る人の感覚で自由に時間を伸び縮みさせてほしいから。

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浅草の人物ポートレートで知られる写真家・鬼海弘雄さんがインタビューでこんなことを語っていた。直接ご本人とお会いした際も、同じ話をしてくださった。

イメージだけでいい写真もあるんですよ。おしゃれな店やきれいなモデルやファッションの写真は、いかに魅力的なイメージに撮るかが問題で、それはそれでいい。でも、僕が撮っているのは金にならない写真だからね。金にならない写真を真剣に撮る意味はどこにあるのかというと、それは写真を見てくれる人の想像力をどれだけ揺さぶれるか。それしかない。それは写真に限らず、詩でも文学でも音楽でも同じ。あなたの見る力、あなたの読む力で、物語を立ち上げて下さいというのが表現であって、だからこそ見る人の感性を貫くような「何か」がなければ表現とは言えないんじゃないかと。

想像力が動く、動き続ける。つまりそれは「考えさせられる」ってことですよ。何度読んでも飽きない本物の根拠は、そこにあるわけですよ。

想像力を揺さぶる写真。まさに漫画の名シーンにも同じことが言える。見る者の感性を立ち上げて、人生の記憶を引っ張り出し、あなただけの物語を紡がせる。そんな表現を追い求めたいとおもう。


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