見出し画像

人には生まれ持った自分の「動詞」がある。

「こどものしぐさはメッセージ」という面白い本を読んだ。著者は整体師でありながらシュタイナー教育に詳しい山上亮さん。

咀嚼した内容を忘れないように以下メモすると、

・人には生まれ持った自分の動詞(しぐさ)がある
・つくる、つなげる、くみかえる、飛び降りる…
・子どもの無自覚で言葉になる前の欲求がはみ出している
・それをやる方も見る方も自覚し、暖かく見守ると人は自然に成長できる

たとえば子どもによく見られる動詞には、それぞれこんな意味がある。

「のぼる」
・子どもは誰に教えられなくても立つ。そして木に登る。
・本能レベルで「高さ」への憧れと快感がある。
・高さを獲得することは、物事を俯瞰してみる生存能力の下敷きになる。
・宇宙飛行士は誰よりも「子どもらしさを伸ばした人」なのかもしれない。

「とびおりる」
・子どもは「とびおりてみたい」という欲求と怖さで逡巡する。
・悩んだ末に決意してジャンプする。
・しばしの浮遊感。
・着地の瞬間に衝撃を受け止めよろめき、体勢を立て直す。
・するとこみ上げてくる達成感。
・人間の「決断」にまつわるすべてのプロセスが内包されている。
・人間が何かを決断する時、腹に力が道、そして手足にその力が行き渡る。
・とびおりる子は、考えることと実践すること=決断力がある。

「ころがる」(ひっくり返す)
・人はころがされると笑う。
・ひっくり返ることには快感があり、ころがりたい欲求が存在する。
・自分がひっくり返るということは、世界がひっくり返るということ。
・それは恐怖であり、元に戻った後の安堵から笑う。
・人は転覆と安定のどちらも望んでいる。
・だからコップやおもちゃ箱、ことばや自分をひっくり返す。
・ひっくり返すのは、必ず元に戻るという信頼があるから。
・でんぐり返しは世界を信頼してわが身を預ける信頼の運動。

「こわす」
・子どもは何かを壊す時、はっきりエネルギーが余っている。
・何かを我慢させられた時、からだが育とうとしている時…
・余ったエネルギーのぶつけどころを探している。
・と同時に、古い自分を壊すことでもあある。
・そこに本能的な快感がある。こわしたいときは発散できるといい。

「かくれる」
・いないいないばあ、はうれしいのは「いつかきっとあらわれる」という予感が当たるから。
・かくれんぼがたのしいのは、見つかりたくないけど「いつか見つけてくれる」という予想を叶えるから。
・かくれるというしぐさは、相手との”つながり”があってはじめて成立するよろこび。
・つまり互いに信じ合う行為。
・見えない相手とつながっている、という感覚を育て、世界への信頼と安心を育んでいる。

「むきあう」
・にらめっこは、正面から相手と向き合う行為。
・大人になるほど難しい行為でもある。
・「人と向き合うシリアスさ」にどこまで耐えられるかが問われている。
・笑ってごまかしたり、目を背けてしまうと大切な何かをおざなりにして生きていくことになるかもしれない。
・大人が子どもと真剣ににらめっこするということは、笑ってごまかさない胆力を鍛えることにつながる。

「まねる」
・子どもは親や兄弟をよくまねる。
・だから子どもの仕草に家庭のしぐさが出る。
・脳細胞にミラーニューロンがあり、まねてまなぶ「まねぶ」本能が備わっている。
・おままごとはいつか自分が担う役割の練習をしている。
・大人は「自分がまねばれるに値する行動をとっているか」を自問する必要がある。

「ねむる」
・ねむりの時間は意識が休まり、からだや潜在意識が主役になる「からだの時間」。
・幼いほどねむりを大切にし、その間にからだはメキメキと成長する。
・子どもの寝相が激しいのは、起きている間の意識の制御の枷から外れるから。
・もっとも素直なからだの状態を大切にしている真っ最中。

「たべる」
・整体の世界では「子どもは気をたべて育つ」という。
・単に栄養を摂取しているのではなく、その場の雰囲気全体をたべている。
・食卓を彩る華やかさ、それを囲む家族の笑顔、そこで語られるおしゃべりすべてを「たべている」。
・だからあんなにもいい顔をするし、周りが落ち着かなければ何を食べてもおいしくない。
・そういうことも含めて、大人は子どもに何を食べさせてあげられるかを考えていきたい。

「こらえる」
・自らの中の欲求を抑える振る舞い。
・「やりたい自分」とは別に「抑える自分」を持つ大人な仕草。
・昔ながらの遊びには「こらえる」身体教育になっていることは多い。
・「だるまさんがころんだ」や「にらめっこ」はその典型。
・つい欲求のままに動いてしまう子どもがこらえる訓練になる。

「ならべる」
・生まれてすぐの子どもは世界を一体のものとしてぼんやり受け止める。
・成長するにつれてぼんやり輪郭が際立ち、個別のものをはっきり認識する。
・物事を分けられるようになるから「分かる」という。
・分けると間が生まれ、関係という概念が立ち現れる。
・子どもがなにかをならべてあそぶとき、すでに「関係」という概念の芽生えがある。
・同じものをならべ、違うものをならべ、違うパターンを読み取って不思議な感覚を味わっている。

「つみあげる」
・つみあげるは「ならべる」に垂直方向が加わる一段階複雑な作業。
・三角の隣に四角はならべられるが、三角の上に四角はつみあげられない。
・常に重力方向への安定という課題があり、自由が制限される中であらがえない世界の法則を学ぶ。
・その中で土台からつみあげ、物事=論理の構築の感覚を養っている。

「はしる」
:子どもはどこへ行っても走り回る。
・この本能的な欲求が備わっているのは、血液を全身に循環させるため。
・臓器が発展途上であり、心肺機能を鍛える必要がある。

「かばう」
・子どもはある日急に、かばわれる側からかばう側になる。
・それは自分の中にある「おねえちゃん・おにいちゃん」の発見。
・それはその子を、グンと成長させる。
・人が成長するということは、自分の中にある「新しい役割を発見」すること。
・発見するということは、その役割を担う準備ができていることを意味する。
・最後に一歩踏み出すためには、腹が据わっているかにかかっている。

「なく」
・人は悲しみをグッとこらえると、腹部の肋骨の下あたりが硬くなる。
・それをやわらげるために「なく」。
・からだのこわばり、こころのわだかまりを溶かす排泄行為。

「しゃがむ」
・人はしゃがむことで、丹田を鍛えている。
・この下腹に位置する場所は、大便をするときの「排泄力」と深い関わりがある。
・何かに本気で取り組むとき「腹を決める」というのはこのことから。
・自分の中の決意を表に出すのはある種の排泄行為。
・子どもが何かをやりたいと言ってきたとき、腹をつつけば本気度合いがすぐわかる。

他にもたくさんあったけどこの辺にしておきます。どの動詞にも深い意味があってとても面白かった。

さて、自分の動詞はなんだろう。昔は「悩む」だと思っていたのだけれど、昨年1年間の取り組みを通して「探す」なんじゃないかと思い始めた。どちらも答えに手が届かない動詞だけれど、意識のベクトルが決定的に違う。「悩む」が下向きだとしたら、「探す」は上向き。

僕は大切な何かを、一生をかけて「探す」人なのかもしれない。そんな諦めと覚悟をもって今年を生きている。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集