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人生がひとつの曲だとしたら、いまどのあたりだろう。

●●歳からは人生下り坂、なんて言葉があるけれど、歳をとっても良い時はあるし、若い頃に暗黒時代を過ごす人もある。だから人生をひとつの曲に喩えたい。人生がサビだけだときっと飽きてしまう。歌詞やメロディーに抑揚がついて、はじめて充実した命が歌い上げられる。

昨年を一言で表すなら「消耗」だった。合わない上司のもとで、新しいお題に向き合い、たくさん働いた。記憶に残る瞬間の少ない1年間だった。そう振り返った時、気づけば人生を曲に喩えていた。自分を慰めたかったのだろう。

このままじゃ、きっとこのままだ。
今年を変えるなら今日を変えなきゃ。
でも、何を?

昨年拾い集めたヒントを広げてみる。

創造的になろうとしない。人は元来、創造的なのだから。

いかに創造性を獲得するか。そんなテーマで本を読み漁っていたら、いくつかの本で同様のことが書かれていた。

人間は元来、創造的な生き物である。だから考えるべきは「いかに創造的になるか」ではなく「いかに創造性を阻害する要因を取り除くか」。前者は問いが間違っている。

人間を根底から信じるスタンスが素敵だと思った。思い出したことがある。数年前の秋、山籠りのようなことをしていたときのこと。朝6時、宿の裏山を散策していたらこんな景色と出会った。

落葉の絨毯、その奥には紅葉のトンネル。生まれたての朝日が木々に刻まれて影を落とす。

あまりの美しさに打ちひしがれて、その場にしゃがみ込んでしまった。1時間くらいはぼーっとしていたと思う。紅葉が朝日に照らされて、すうっと透き通っていた。見惚れていたとき、ふと思ったのだった。

緑はただ光を取り込み、光合成をしているだけ。ただ呼吸をするさまが美しい。そして僕もまた、朝日に照らされ、呼吸するだけの存在として対峙している。だから僕らはそんなに違わないんじゃないか。いまの僕もまた、呼吸をしているだけで美しい存在なんじゃないか。

気づく前と後で、世界のどこかが変わったわけじゃない。それでも僕は、何か素晴らしいものを発明した気分だった。あの時もたらされた高揚感と充実感こそ、創造性が発動した証だと思っている。あの状態に近付くには、一体どうすればいいのだろう。

より「自分自身」になる。

昨年の6月、岐阜県・石徹白の「あわ居」という宿にお邪魔した。友人から教えてもらった場所だ。ここはなんでも主人が芸術家で、ご飯を食べながら人生相談に乗ってもらえるらしい。そのときちょうど、人の話を聞く、ということについて、真剣に学びたいと思っていた。ワクワクしながら戸を叩いたのを覚えている。

主人(写真右)のタカシさんは、不器用な人だった。僕の悩みに対して、答えを与えるのではなく、一緒になって悩んでくれた。そういえばこんなことがあってね。時折思い出したように、大切な気づきをもたらす話題を僕と彼の間にちょこんと置く。「お口に合うようでしたらぜひ」とでも言うように。その態度がひどく誠実に思えた。

相談は時に、僕のことから彼自身のことにも及んだ。現在の彼が書道家と詩人と宿主という3つの顔を持つに至ったのは、能動的にその道を選んだというよりも、むしろ逃げ惑う果てにたどり着いた境地に近い。最初は芸術家として認められるべく、賞に応募したり展示会を開いたりしていたタカシさん。そこで気づいたことがあるという。

審査員に認められる書を書きたいわけでもないのに、そこに向かって努力する自分が居心地悪かった。そんなの、自分じゃない。だとしたら、どんな状態が自分なのだろう。そんな問いと向き合い続けていたら、ここ石徹白で宿を営むに至った。より「自分自身」でいるために、自分自身でいられなくするものを、ひとつひとつ排除していった。

この話は先ほど書いた創造性の話とリンクする。創造的な自分自身でいるために、それを阻害する要因を取り除くこと。ここまで書いていて気づいたのだが、昨年を通してずっと、このメッセージを受信していたのかもしれない。

数年前に妹の学費を払い終え、家族の問題に一区切りがついたあたりで「ああ、これは生まれ直しだな」と思った。つまり最初のサビが終わった。昨年までが2番の歌詞へと向かう間奏だとする。再び歌い出すためのフレーズとメロディーの鍵は「創造性の回復」なのかもしれない。

創造性を回復するためにできること。

未来のヒントは過去にある。山籠りしたときと、あわ居に行ったとき。2つの共通点を洗ってみる。

・自分を愛でるための時間を費やす
・何か大切にしたいテーマを持つ
・仕事など追われているものから解放される
・信じられる友人が称賛していた場所に行く
・計画を立てすぎず、その場のドキドキに委ねる
・カメラを持ち、心が動くままにシャッターを切る

ざっとこんな感じだろうか。創造性をめぐる旅に出たい。できればその先で、自然の声に耳を傾けてつながろうとしている表現者と出会いたい。

うん、なんとなく、ドキドキできる方角がみえてきた気がする。早速信じられる友人たちに、そんな僕にお似合いの土地や人がいないか尋ねてみる。どんな一年になるか楽しみだ。

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