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新しい呼吸のはじめかた。

今年も年始から日記をつけ続け、昨日で1週間。さっそく書きたいことがなくなった。うん、いい調子。

毎年続けている日記の1ヶ月連続更新、まず達成したかったのは「昨年1年間を通して思ったこと」を吐き出し切ること。頭の中でぐちゃぐちゃと考えていたことを体の外に出すと、文字にする過程で感じていたことの細部が見えてくる。だからじっくりと内省できて、そこから次の年のテーマみたいなものが見えてくる。かたちに残すことで安心して忘れられる(ずるずると引きずらない)のも大きい。

呼吸とは読んで字のごとく、「吸う」の前に「呼ぶ(吐く)」がある。きちんと深呼吸したいときはまず、体の内側に溜め込んでいたものを吐き出す。すっからかんなゼロの体になってはじめて、新鮮な空気を目一杯吸える。

「書きたいことがなくなった」ということは、つまりそういうタイミングが訪れたということだ。

昨日から今日にかけて起きたことといえば、チームメンバーに協力してもらって完成度80%までいった企画書を上司に見せたら「甘いんじゃない?」と一蹴されたことくらい。自分で言うのもおこがましいが、仕事全般において自分はかなり要領がいいので上司に怒られたことは社会人9年間で1度だけ。今回は怒られたわけではないにせよ、まあまあショックな出来事だった。

この資料、実は一度、年末に軽く方向性を確認してもらっていて「いいじゃん」をいただいていた。なのにひっくり返すのかよ、といいたいところだけれど、この上司は忙しすぎると適当に答えるんだなと今回学んだ。冷静さを取り戻した上司の指摘が割と本質的だったので、こちらはぐうの音も出ない。自分の配慮と思考のいたらなさ、その両方を学ぶいい機会になった。

とは、いえ。自分の下にも若手を何名かつけて仕事をしている以上、方針転換は彼らの労力と時間を無駄にすることを意味する。それがたまらなく、つらい。

最近クリエーティブディレクションについて思うのは、優秀なCDとしてビシッと方角を指し示すよりも、優秀な若手の人生を無駄遣いさせないという意識のほうが遥かに自分のパフォーマンスがいいということ。彼ら彼女らには一番たのしいところで羽を伸ばしてもらうために、面倒で大変な部分は自分がササっと処理する。そんなスタイルが板についてきたと思っていた矢先の出来事だったから、己の不甲斐なさを恥じた。

と同時に思うのは。自分の人生、こういうことに使ってて大丈夫なんだっけ、という疑問。自分にとっての「いい」を追求したい、と全身で強く感じはじめた今年だからこそ余計にむなしさを感じてしまった。

さて、この経験は自分にどんなメッセージを送っているのだろう。「もっと仕事の質を上げていこうぜ」にはどうしても聞こえなくて、「いい加減ただしい道を歩けよ」というメッセージに聞こえてしまう。

これが今年吸った、最初の酸素。インプット。この感じを忘れたくない、新しい呼吸のはじめかた。

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