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感傷で暖をとる。
今日はなんだかずっと眠い。朝からお昼にかけて打ち合わせをしたあと、サウナに行きたかったのだけれどあまりに寒くて外に出られず、代わりに1時間ほど半身浴。そのあとゆっくりご飯を食べたらうとうとして、そのまま寝てしまった。
僕は平日休日問わず「寝るのがもったい」と感じてしまう人で、やることがなくてもまずはカフェに行くような人間で。寒いって手強いなあという思いと、何かやらなきゃって強迫観念よりもからだを休めることを優先できた自分を褒めたい思いでまどろんでいる。
寒いときの思い出って、なぜだか強く印象に残っている。青く冷たい学校の下駄箱。マフラーに顔をうずめながら見上げた薄い雲。雪と静寂に包まれた新宿駅。思い出はどれもあたたかく、その感傷で暖をとる。
今年も新しい思い出が生まれていてもおかしくないのだけれど、コロナのせいで初詣にも初売りにも行けず、気づけば年明けから2週間以上が経過している。歳をとるのが怖いというより、何も感じないまま生きていくことが怖い。
詩人の茨木のり子さんは「自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ」といったけれど、感じることと、生きることと、役に立つこと、その3つが直結する仕事ってなんなのだろう、という疑問が頭をもたげる。もっと伸び伸びと生きたい。