2022.3.11から夢を与えるプロになる
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2011.3.11の東日本大震災から11年目。
まだまだ多くの人達が昔の街の活気を取り戻そうと必死に頑張っている。
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11年目、10年という節目を超えた年がスタートする。
ここからが本当にいわゆる"風化"の波が特に大きくなると正直思う。
しかし、現状まだ、震災によって起こってしまった多くの問題が解決していないことを忘れてはいけないし、防災の重要性というものをいま一度見つめ直さなければならない。
僕は宮城県出身の野球選手。
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とても故郷を誇りに思っているし、大好きだ。そんな中、今年掲げた目標
"夢を与えるプロになる"
それについて今回は触れたいとおもう。
何を隠せよ、これは元美唄の山田雄一が掲げていたというか、よく使っていたものだ。
実際、彼はたくさんの子供達やファンの方々にそういうプレーを見せてきたし、愛されていた選手であったと思う。
もちろん僕も、野球を見に来てくれる子供達の憧れであったり、応援してくださるファンの方々が手に汗握るようなプレーをみせたい。
しかし、僕が夢を与えたいのは次のところにもある。
宮城、東北。
自分なんてまだまだ有名でもなく、ただのしがない独立リーガーだ。
ただ、現地の人にとって地元出身の選手が頑張っていると、勇気が出たり、明日への活力に繋がる...と思う。
例として宮城県出身の羽生結弦選手をあげれば、彼が金メダルをとったときの地元の熱気はすごいものであったと思う。
もしかしたら、宮城や東北の人には北海道で士別で野球をしているってことはすごく馴染みのないことかもしれない。
でも、何らかの形でその人の目にとまり、少しでもそういったエネルギーになればいいなって思う。
1人、2人でもいい。僕が野球をやることで
その人達の力になれるなら。
"夢を与える"野球選手に僕はなります。
2022年3月11日