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【2024秋M3ライナーノーツ】
こんばんは。久しぶりの文章です。
今回は一年ぶりとなりました、ゆうがお主導によるアルバム作品「摩天楼 / The Stratoscraper」についてお話ししていこうと思います。
摩天楼という作品は2023年の12月に始動し、その後4月にPrototype版の公開を経てついに正式版が公開されました。もともと、秋の時点では春での公開を目標として制作していたのですが、制作は多忙と難航を極め、クオリティの補償のために一年がかりとなった次第です。お待ちいただいた皆さん、大変ありがとうございました。
しかし、振り返ってみれば、たっぷりの労力を吸わせた甲斐あって、エルゴノーツに劣らない、「アンサー」が制作できたのではないかと思います。
今回は楽曲から動画、イラストに至るまで、とにかく合作の多いアルバムとなりました。チーム一丸として制作したこのアルバム、誰一人かけても制作できなかったでしょう。
関わってくださった全ての関係者様に、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
物語のこと
今回のテーマは「エルゴノーツの逆位置」
エルゴノーツは、「過去の全てを置いて行き、新しい世界を迎える」という印象でした。それは、まさに三途の川を渡る「転生」を着想として制作した「祈り」のアルバムです。
ではその時、「置いて行かれた全て」はいったいどこへ向かうのか?
これが摩天楼のストーリーにおける核でした。
摩天楼は「願い」であり、どこか遠くに導かれるのではなく、自らの行先を自分で決めるというカウンターをエルゴノーツに対して持ちます。
そして、あらゆるものを「逆転」させ、自らが望んだように「楽園に舞い戻る」ことが終着点なのです。
「転生」は、祝福されるべきものであると同時に、その過去の全てを無理やりに精算し、殺し置いていくことと同義です。
自らの罪を自覚し、それを抱えた一個として再びこの「楽園」を生き続けようという摩天楼と、「転生」を選んだエルゴノーツ、どちらが正しいのかは一概には言えないでしょう。
ただ、どちらにしろ、それぞれの形で必ずその対価は払わなければならないのです。
クロスフェード、ブックレットのこと
摩天楼を語る上で、外せないのがクロスフェードのことでしょう。
今回は動画および3DCGの制作にradiosityさんを迎え、クロスフェードについては大半をお任せする形で制作いたしました。かの作者がビームを放つ曲や某有名洗濯機型ゲームにも映像を提供されたことのある実績に富む方をお迎えし、制作されたXFDの出来は、すでにご覧になった通りとんでもないものとなったといえるでしょう。
ゆうがおが最初に作ったモックは、なんとマイクラのプレイ映像を元にしたもの。これを元に制作された映像は、リッチな3Dによって上昇する塔の印象を的確に描く動画となりました。ひたすらにありがたい限りです。
また、クロスフェードを含め、イラストレーション部分はアイコンでもお世話になっているずごごじーお先生にお願いしました。
自分が提案したキャラデザを元にブラッシュアップをしていただき、これをクロスフェードで、ブックレットで動かしていただく。ジャケット画像のギミックを発生させるためにも、様々な差分を用意していただきました。
お二人の「合作」として制作されたブックレット、ぜひお楽しみください。
ゆうがおは、主にディレクションと最終盤周辺のパペットピンアニメーション、あとはマシンパワーを活かしてレンダリングを担当しました。ビジュアル面も、とにかく合作が多い制作でした。
曲のこと
1. 天をみる / Once upon the Clouds (by Fl00t × tsuki )
空へと伸びる摩天楼、
暗い雲の向こうに
僕らは楽園を夢見た。
淡く暗い、雨の降り頻る空のもと。あるとき、雲の向こう夢見た主人公は、雲を突き抜けて聳える巨大な塔へと挑むことを決めました。自らが何者かも、何をすべきなのかもわからない主人公は、その塔が何かも知らないまま、ただ楽園だけを夢見て。
摩天楼の物語の始まりを告げる一曲、タイトルは「そらをみる」と読むそうです。ゆうがおが「Fl00tさんとtsukiさんの合作が見た〜い!」と推して制作された、プレリュード的トラックです。エルゴノーツの「蒼き水面の下より」と比べてより楽曲としての側面も強く、Fl00tさんによる不思議な味わいのピアノがtsukiさんのデザインしたビートに乗せて垂れ込む雲と雨の重さ、そして摩天楼の遥かさを表現しています。
2: The Corridor of Stars
ここは始まりの回廊。
傲慢にも捨てられずに蟠った
一切の希望が輝く、星々の回廊。
トラック1のリバース(逆再生)音源からはじまり、「星々の回廊」と題されたこの楽曲は、摩天楼の入り口と、その第一階層のテーマです。「エルゴノーツ」の対となるようなイメージで制作されたこの楽曲は、かの曲の「祈り」に対して「願い」を歌い上げます。
暗い、昏い、先の見えない得体の知れない煉獄の塔に挑んだ、傲慢ともいえる希望が数多輝く回廊。打ち捨てられた星々が祝福する過酷な道。
「この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ」と言いますが、突破するという希望がなければ門はくぐれないのではないでしょうか?
つまり、門の先にある全ての星は、その希望を持って門をくぐり、そしてうち捨てられたものなのです。
楽曲としてはテック系、ピアノダンス系のような曲調で、これは今回引用もされている過去曲である「Aerospace」と「Floodlights」の当初の構想にあったイメージです。前へ前へと進む四つ打ちの力強さと、ハードなピアノ。歌い上げるシンセリードの切なさと、足元で輝くベース。そのすべてが、希う人の勇気を祝福し、無謀さを嘲けるのです。やって見せろ、と。
3: Epistemologia (by tsuki)
ここは焦がれる者の回廊。
光輝く世界に嫉妬する心が
輻輳し増幅する、浅緑の回廊。
「星々の回廊」とその雰囲気を共有するこの楽曲は、塔の第二階層とそのテーマ「嫉妬」を象徴します。自らの心を省み、その中にある「憧れ」や「羨み」、そしてそれが叶っていないこの状況への「嫉み」「妬み」を認識し、自我を形成する。それが「Epistemologia : 認識論」たる所以です。
トラック1のフレーズも取り入れつつ、激しくも希望を持つような明るいフレーズは、前へ前へという意思がより確固たるものとして主張します。主に歌ものポップスを書かれているtsukiさんですが、Liminalityに収録されている「Memory of Azure」のようなノリノリな楽曲も書かれます。すごいですよね。
4: Outrage paw (by ikarun)
ここは怒れる者の回廊。
理不尽を嘆き悲しむ憤怒が
心を燃して意思へと変える、暗赤の回廊。
さらに激しく荒々しい、赤黒いニューロファンク。第三階層のテーマ「憤怒」は、自らの置かれた状況の理不尽さを、理想とかけ離れた現状との乖離を、そしてそれらに湧き上がるどうしようもない怒りを自覚させます。
「なぜこのような苦行を強いられているのか?」「なぜ自分はこうして不幸なのか?」
周辺世界の認識は嫉みを繋ぎ、やがて怒りを呼び起こして生への意思を強化するのです。
今回のゲスト枠・ikarunさんの楽曲です。リアルでの知り合いで、今回のテーマでぜひ曲を聞いてみたい!ということでお呼びしました。
ご本人はボーカロイドを用いたものを中心に、とっても煌びやかなテック系をよく書かれており、TAKUMI³への収録経験もあります(なんとリアルで知り合う前に同じゲームに収録されていました!)。そんなikarunさんによるNeurofunkは、アルバムの中でも随一の“強さ”をを持っていると言えるでしょう。
5: Chrysalis Vo. Feng yi (MoAI × Yuhgao)
ここは動かぬ者の回廊。
意思の内側にある世界を直視せぬ怠惰が
心を蝕み光を暈す、浅青の回廊。
打って変わって世界は静まり返り、孤独と無力があなたを迎えます。ここは第四階層、その主題は「怠惰」。自分を省みず無謀を続けたその結果が体を蝕み、前へと進む力も失わせます。
いっそ、ここで諦めて背徳者として生き延びてしまおうかとか、あるいはこのまま微睡の中で眠ってしまおうかという考えが過るような、意思と体力の消耗と、そこに差し込むわずかな光。そんな心を英語歌詞に乗せ、歌ってもらいました。
浅青の理由は、青ざめた肌のような色と、あるいは毒のような色だからでしょうか。
もともとはMoAIさん単独での制作でしたが、歌詞を英語にしたいというアイデアにゆうがおがガッツリと乗る形で、素敵なローファイチックなビートに歌詞を乗せさせてもらいました。
制作していく中、「なんだか走れメロスを思い出すな」というイメージが湧いて、参考にしたのはここだけの話。とはいえ、歌詞の中にメンションされた要素はほぼないに等しいですが…….
お気に入りはやはりA’パート終わりの駆け上がり伸びやかに歌う部分。半ば悲鳴のような、頭を抱えてヒステリックに叫ぶような、でも優しく、苦しく、自分が“見ようとしていないことを分かっている”逃避の感情。
そうやって苦しんだ後に、やがて繭を破って先へと進む。決意を胸に、過酷な道を……
6: Stratoscraper (Fl00t × Yuhgao)
ここは求める者の回廊。
身に余る強欲に身を焦がす人の
駆け上がる、紺青の回廊。
表題曲にして、このアルバムの原点。果てない摩天楼を駆け上がるこの楽曲は、物語の中では第五階層である「強欲」を表します。
鳴り響くピアノ、駆けずり回るチェロ、激しく嘶くバイオリン、そして高らかに希望を歌うシンセリード。一度閉じた目を開き、止まった足を動かし、自らを奮い立たせて挑戦を続ける、そんな楽曲です。
2019年にKACへの応募曲として制作したこの楽曲は、当時多忙であったゆうがおはほぼ味付けに周り、Fl00tさんの作風が前面に出ていました。その後、残念ながら落選とはなりましたが、TAKUMI³さんとLiminalityさんに収録されることとなり、トリッキーな楽曲としてプレイヤーの皆さんを苦しめたと聞いています。Liminalityはもうちょっとでフルコン取れそうなんですが、TAKUMI³はどうにも…….
今回はその当時のステムを用いつつ、音質の改善や楽器の見直し、一部音の追加などを行なってゆうがおがリチューンしました。Liminalityさんでは音源更新で新版の音源が使用されているようですが、もうすでに遊ばれましたか?
さあ、息を吐く暇もなく、いえ、息を吐く暇も作らずに、次の階層へ。
7: Stratostrider (Fl00t × Yuhgao)
ここは求める者の回廊。
凡ゆる可能性を取り込む暴食が、
夢幻を難み願いを阻む、橙の回廊。
Stratoscraperの続編にして、その延長線上にある楽曲。摩天楼を、空を渡る者のテーマであり、第六の階層を表す曲です。
第六階層は「暴食」ということになりますが、これはいわゆる「食べ物ドカ喰い」ではなく「外界の全てを、見境なく自らのうちに取り込むこと」と解釈しています。
目的のためならあらゆる犠牲も厭わず取り込み、踏み越えていく底なしの貪欲さ。目まぐるしく切り替わり、迫り来る困難を蹴飛ばし蹴落とし踏み越える、そんなイメージが込められています。
Stratoscraperとは対照的な、色としては逆色相に位置するほど対極的なイメージを持って制作されたこの楽曲は、やはり最初から音楽ゲームへの収録を想定して制作されていました。音数を増やし厚みを持たせ、それでいながらStratoscraperの雰囲気を継承し、かつ色味は変化させる。なかなか難しい挑戦でした。
また、この楽曲の制作は作業休止期間も含めると半年以上の時間がかかっています。
ただ、春の頒布を断念し、いったん作業を休止している間にTAKUMI³さんとLiminalityさんからお話をいただき、本当に音楽ゲーム向け(それも二作品のコラボ、そのメイン!)の楽曲として制作されることになりました。その際にはLiminalityのサウンドチームであるひゅーぶさん、Notrumさんには様々アドバイスをいただきましたので、この場をお借りしてお礼を申し上げます。
なので、両ゲームにおける具体的な難易度想定や譜面傾向、演出を意識した上での制作が展開されたという点では、書き下ろし曲のようなものですね。
春の頒布を見送っていなければ、このような「発表と同時に二作品に収録発表」という異例のイベントは実現されなかったでしょう。
追記:具体的な難易度想定や譜面傾向を考えて作ったと言いましたが、こんなに難しいとは聞いてません。ゆうがおはイントロと連打地帯の拍子を変にしてラス殺しを足しただけなので、難易度の主な原因であるサビパートの文句はFl00tさんと譜面制作者さんに言ってください。いいですね?
8: Pleionexia
ここは果ての回廊。
重なる罪の全てが
愛を求めて追い縋る、紫の回廊。
英語男性ボーカルとロックが合わさった時、勝ちが確定するとはこういったことを詠むのでしょう。物語が終わりに向かって突き進んでいくその様を、いつか願った希望の果てを、楽園への最後の一歩、第七階層は「色欲」を、力強く歌い上げるのがこの楽曲。
Pleionexiaという曲名は誤字ではありません。Pleonexiaという「欲望」を表す言葉に、「アイ」を一つ足したこの言葉は、7つ子の母であるプレイオネーをもじっています。「母」をもとめる、「私」の「欲望」を、「愛してほしい」と叫ぶ心をあらわしたこの楽曲は、アルバムの中でもかなりの気合いをもって作られています。この手の同人音楽としてはなかなか見ない完全英語・ストレートなロックを、お楽しみいただけましたでしょうか。
9: 空をみる / But still under the Rain
そしてついに辿り着く。
扉を開けた先から見える空には、
楽園があったのだ。
Fl00tさんによるインターリュード。
扉を開けたその先、摩天楼の屋上に主人公はついに辿り着きます。
まばゆい光に手を翳して、見上げた空にあったのは、
あまりにも見慣れた、楽園の姿でした。
10: 蒼摩塔 / The Refrains in Blue
歌うような 降る雨は、
罪の数をかぞえている
知っていた 苦しみは、
放してくれるなと 焼きついた
Fl00tさんが手がける、同氏初の日本語歌唱楽曲。
繊細な言葉選びと、柔らかなメロディ、それが一番はバラード調に、二番は打って変わって激しいエレクトロニカとして、摩天楼の果てを祝福します。
ゆうがおは多忙なFl00tさんに代わり、可不の調声面にて少しだけお手伝いしました。可不さんむちゃくちゃ手のかかるボイスバンクですね!?!?世の中のひとはこれをあのレベルに引き上げるのにどれだけの苦労を…….まったく素直に歌ってくれないので、VOCALOIDよりも難しかったように思います。
摩天楼は縦に開くCDとなっていますが、手前に開くようにCDを開けると、ジャケット画像に対してCD面印刷の街が上下逆になっていることに気づくでしょうか。
主人公は、摩天楼の先にある楽園に、「上向き」に落ちていくのです。空から吊るされた彼の、落ちていく表情に迷いはなく、むしろなんだか安らかです。
自らを知り、自らの罪を知り、楽園の場所を、楽園の意味を知った彼は、ようやっとその足で大地に立てるのです。
ただ今、再び生まれ落ちるだけなのです。
以上が、摩天楼のあらましでした。
エルゴノーツは「忘却の果ての転生」と描写されましたが、摩天楼は「想起の果ての帰還」といえるでしょう。
ところどころに響く過去楽曲の引用にもひとつひとつ意味を持たせていますから、ぜひそれら作品と比べて味わっていただけますと幸いです。
また、摩天楼は電子版におまけとして「オフボーカル版」および「ゲームサイズ版Stratoscraper、Stratostrider」が存在します。物理版には全て電子版の引換コードがついていますから、チェックしてみてくださいね!
さて、これにてエルゴノーツ、そして摩天楼という一対の作品が完成し、一つの区切りとなりました。
つまり、次回作以降はまた新しい始まりとなるわけでございます。
hexatropica.の「1000シリーズ」は1年に1作品をこってり作っていく方針となりました。今まさに来年の秋に向けて様々な討論を重ねているところです。どうやら次はきっと、「風に花びらの舞う場所」でお会いできそうです。
ところでM3自体は来春あるわけですが。
ゆうがおは1000シリーズとは別に、何か制作して出したいなと考えておりますので、よければこちらも追っていただけますと幸いです。
きっととってもきらきらした体験になるのではないかと思いますよ。