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苦すぎる経験

皆さんこんにちは、こんばんは!
なんとなーくnoteの書き方も慣れてきました。


最近いいニュースがなくて、報道番組を見ててもいつも同じようなことしか報道されていなくて今日は〇〇人でしたなど聞いていて、なんかすごーく気持ちがもやーっとしています。




世間話はこれくらいにして、、笑


今まで私は幼稚園から中学時代までザッと書いていきましたが、次は高校時代を振り返っていきたいと思います。


修徳中学校からそのままエスカレーター式で修徳高校に入学しました。入学式初っ端から坊主で気合い入れてサッカーやる気満々で自信を持って高校に上がりました。


最初のサッカー部の入部希望部員数は80名ほどいました。中学との人数の違いは把握していたつもりですが、それでもその部員の多さにとてもびっくりしました。そこで切磋琢磨して絶対にレギュラー取って選手権出てやるという気持ちで燃えていました。



高校1年の時はとにかくアピールしなきゃと思ってクラスの点呼の時も1番前でコーチの話を聞き、トイレ掃除は本当に一生懸命やっていました。正直側から見たら気に食わないところもあったと思います。笑



そして、1年生の中でたまーにAチームの練習に呼ばれたり呼ばれなかったりを繰り返していました。本当に1年の時はとにかくがむしゃらにやってたような気がします。監督から「グランドっっ!」と言われたらとにかく何も考えずに走って、夏合宿も全力でやり、「カシマラ」も「市マラ」もなんだって全力でやりました。

グランドっっ」「カシマラ」「市マラ」なんやねんって思ってる人もいるかもしれませんが、まぁ簡単に言うと走りのメニューです。「グランドっっ」は練習中に監督の逆鱗に触れたらグランドの周りを走るメニューで、「カシマラ」は高校がある亀有から柏まで走るマラソンで、「市マラ」は亀有から市川まで行って、また学校まで戻ってくるマラソンですね。本当にこれはめちゃくちゃキツかったです。あー思い出したくもない、、笑笑



サッカー漬けの毎日でした。授業もろくに聞かず、ほとんど睡眠に時間を取られ、おかげで思いっきり成績も下がりました。理系科目がわからんわからん。ちんぷんかんぷんでした笑

正直ここでもっと頑張って両立しとけばよかったと後悔してます。笑


高校1年の時の記憶はとにかくサッカーしかありませんでした。2年生に上がって、だんだんとAチームの練習にもコンスタントに呼ばれるようになってきて、夏合宿(走り合宿と流経合宿、多分この二つかな?)でAチームの合宿に帯同することができました。まぁこの夏合宿は本当に地獄でした。とにかく飯食って、食ったらすぐ走って、リポビタンDを飲んで元気出そうとしては、嘔吐してのエンドレスでとにかくAチームの練習についていくのに精一杯でした。整骨院に行ったら、針を刺してもらいとにかく足がボロボロになりながらもどうにか這いつくばって夏を乗り切ることができました。


どこで評価してくれたのかわかりませんが、一回だけメンバー入りして20番??それをもらったのは覚えています。



そんなこんなであっという間に夏が過ぎ、選手権予選が始まりましたが、この年は一回戦で成立に負けて、3年生が体育祭前には引退してしまいました。


そして新チームになり、最高学年になった時、急に気持ちがフワッとした変な感覚になったのを憶えています。


まず新チームの一発目の試合だったと思うんですが、栃木まで行って試合に行ったのですがそこから右サイドハーフから右サイドバックにコンバートされて、試合に出ることが出来ました。その試合は自分でもまずまずのプレーは出来たかなと思います。その後、T3リーグの開幕戦に向けて練習していく中で、紅白戦で私は多くのミスを繰り返し、監督からこっ酷く怒られました。ここで私は見返してやろうと言う気持ちではなく、「無理だ、耐えられない」そう思うようになりました。自分には指導ではなく、罵倒にしか聞こえなかった。「なぜ俺だけこんな怒られなきゃいけないのか?」その当時の私には全く分からなくて、自分一人で抱え込んで本当に苦しかったのを覚えています。何言われても我慢しなきゃいけない、そんな状況が辛くなって、人生で初めて「サッカーがつまらない、楽しくない」そう思うようになりました。実際問題、本当にメンタルが弱かった。正直これに尽きると思います。



そんな気持ちを誰にも言わず一人で抱えたままT3の開幕戦を迎えました。せっかくの開幕戦でスタメン出場出来たのに、全く気合が入りませんでした。しっかり前半で交代させられ、試合も負けてしまいました。


なんでこんな気持ちでサッカーしなきゃいけないんだろう、もっとサッカーって楽しかったよな…自分のサッカー人生と照らし合わせながらこんなはずじゃなかったと何度も思ってしまいました。そして自分がこんな状況にいること、自分の実力がどれだけないのかを痛感して涙が止まりませんでした。


そして勉強の方でも全く成績が上がらず、個別で担任と何回も面談をしました。模試の判定を見て、全部E判定、ただ自分が行きたい大学書いて満足しての繰り返し。「お前このままじゃどこの大学にも受からねーよ」と先生に言われてから、「俺ってすげー中途半端な人生だよな〜」そう感じるようになりました。そんな時に私はもうサッカー部を辞めて大学受験に専念しようかなという思考になっていきました。周りは一生懸命勉強して成績が上がっている子がいる。俺はサッカーでろくな活躍もできず、別にサッカーが楽しいわけでもない、勉強の方でも全く成績が上がらず、全てが中途半端、うまく行っていないように感じて、「もうサッカーなんかやってられるか」という気持ちになりました。


両親にももうサッカー部をやめると言い放ち、「続けろよ」ともちろん言われて、いろんな先生や同級生からもアドバイスしてくれましたが、私は突っぱねてそこでサッカー部を辞めました。まぁ本当に何してんだよって感じですよね。笑


私がやめるとなった時、「あいつダセーな」、「嫌なことから逃げただけやん」、「なんでこのタイミングでやめるねん」と思った人たちが何人もいたと思います。確かにその通りです。このnoteを見てそう思ってもおかしくありません。ただ当時の私にはその状況が耐えられなかった。そしてこの中途半端な状況が許せなくて、打開したいという気持ちしかありませんでした。



また私は、サッカー部を辞めてから私は違う目標を持って自分なりに前を向いていました。高校サッカーはこれで終わりにする。でもみんなが知っているような有名な大学に自分の実力で入って、サークルじゃなくて絶対に体育会サッカー部に入部してやるという強い意志がありました。サッカーが大好きだからこそ、もう一度サッカーと真剣に向き合いたい。この意志は絶対に誰に何と言われようと曲げませんでした。



そのような強い意志があったこともあり、辞めてからすぐに勉強にシフトすることができましたが、、、




まぁ勉強の仕方が全くわかっていなかったこと、予備校に通って勉強したつもりになっていたので高3になっても全く成績が上がらず、その中で現役受験生のイキリでしょうか(笑)、自分の偏差値なんか気にせず自分の行きたい大学ばっかを狙って受験しました。本当バカですよね、、笑

案の定、全て不合格。どこの大学にも受からないまま浪人することになりました。(浪人時代の話は次の投稿で書きます!!笑)



そしてあっという間に高校の卒業式を迎えました。



その時にサッカー部の同級生の1人に「お前サッカー部辞めて勉強したのに浪人するのかよ、ダセーな」そう言われました。多分本当にそう思ったのもあるし、軽い気持ちで言ったのもあると思います。





ですが私はこの一言が本当に今までで1番悔しかった。そこから私は「絶対に見返してやる、バカにしてる奴ら全員を見返してやる」という強い気持ちと「みんなが知っているような有名な大学に自分の実力で入って、サークルじゃなくて絶対に体育会サッカー部に入部してやる」という目標がより強くなりました。



このような強い気持ちと目標があったからこそ浪人時代、何時間も勉強することができました。その頑張りの結果なのか私自身が強く志望していた学習院大学に入学することができ、そして体育会サッカー部に所属してサッカーをするという高3から持っていた目標を達成することが出来ました。




以上でこれが、私の幼稚園から高校までのサッカー人生です。最後のクライマックスは想定外だったと思いますが、まぁ人生色々あるということです。笑笑

この高校時代の話は知らない人が多いと思うので是非見ていただきたいと思い、本当に正直に書きました。笑


1つ言えることは私の人生は常にサッカーと共にあったことです。そしてこれからもサッカーと共にあり続けるのだと思います。自分のサッカー人生を振り返って、自分で書いてみて本当にそう感じることが出来ました。







拙い文章ではありましたが、幼稚園から高校までのサッカー人生について読んでくれた方、本当にありがとうございます!!



前文にも書いてありますが、次は浪人時代どのように生活して、どのように勉強していたのか書いていきたいと思います。是非お楽しみに!


話題は少し変わりますが、引き続き読んでいただけたら嬉しいです!!


では、次の投稿で!!


ゲリラ豪雨!!











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