突然コミュニケーションの本質をつく次男(小1)の言葉
夕方、次男(小1)を車に乗せていたときのこと。車内のテレビでニュースが流れていて、ロシアとウクライナの戦争のニュースでした。
それを見た次男がこう言ったんです。
「せんそうなんて、やめればいいのに。
おかねとかより、たいせつなものがあるのに。
かぞくのじかんとか、
みんなでたのしいことをするとか。
やさしくはなせばいいのに。
そうしないで、すぐしんじゃうなんて、
なにやってんだろう。」
尊い感性と言葉。そして、「なんで、せんそうするの?」と聞かれたので、ずっと心の引き出しに控えてあったドラえもんの受け売りを披露。
さすがドラえもん。子どもたちにわかりやすく、本質を伝えてくれています。信念の対立であり、それぞれの正義の衝突。
日頃のコミュニケーションにおいても、お互いが立ち位置を変えずに、自分から見えている正しさを伝え続けていると、ずっと平行線か、戦いになりますよね。
正しさへの固執の話のとき、いつも思い出すのがどこかの研修で聞いたのか、本で読んだのか忘れた円柱の話。
円柱も正面からみたら長方形、上からみたら円。それぞれの立ち位置だけで言えばどちらも正しいですが、真実は円柱。どちらも正しく、どちらも正しくない。
それぞれが自分の位置から動く気がなければ、物事の一面だけがその人にとっての真実で、すべてで、正しいこと。だから堂々と、正しさを押し付けてしまう。
自分の正しさに固執していると気付けること、そして気づいたら「あれ?見えているものが違うのか?反対から見たら?横から見たら?」の想像力が、思いやりあるコミュニケーションのスタートであり、それが絆を生むのだと思います。
「相手の視界はどんな景色だろうか?」と自分から立ち位置を変えて見に行ける人でありたいなぁと思いましたし、子どもたちが大人になっていくにあたって、もっともっとあたたかい世界になってほしいと願う夕方でした。
今日も読んでくださってありがとうございます。
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