” 神様 ”ってなんだろう? 《後編》
黒川さんにも ” 神様 ” ってなんだろう?を書いて頂きました!前編を読んでから読み進めるのをお薦めします。
神さまというと、信仰心は正月詣りや、近くの神社に参拝する程度の普通の家庭に生まれたと思う。父方母方含めて家の親類には新興宗教の信者になった者は一人もいない。長じて親族が一つの教団に所属をしていたり、親族が色んな教団に入信している家庭を知って環境の違いに驚いたのだった。
幼い頃に行った神社で覚えているのは、初宮詣りの新宿の十二荘熊野神社(明治時代は滝があり、戦後まで池があった)、歌舞伎町の花園稲荷、和田堀の大宮八幡宮は境内に遺跡があって、隣のプールにも父と一緒に行った。
千駄ヶ谷の鳩森八幡神社や、代々木八幡神社も小学生の頃に行ったことがある。
※ゆうはん撮影写真「鳩森神社」
私が生まれた南新宿の鉄道病院(現・JR総合病院)は、鳩森八幡の氏子地域だから、私は厳密には鳩森八幡が産土神社なのだ。後に日月神示の岡本天明の事を調べに鳩森八幡に何度取材したから、これも不思議な縁である。
宗教や信仰に熱心な家庭に生まれたわけではないが、東京に住んでいると、郊外の高尾山はピクニック登山の定番で、小学生の頃から何度も登った。大みそかに登って元旦の旭を頂上で迎えたこともある。その時、共産党員の父親が満面の笑みでスピーカーから流れる君が代に合わせて、恍惚した表情で合唱していた。隣でアンタ主義が違うだろうと思ったが、日本人は君が代が好きなのだと実感した。高尾山は修験寺院のある信仰の山であることは天狗の面から子供心でも分かったが、後にあんなに有名になるとは気がつかなかった。
神の世界を実際に経験するようになったのは、20歳過ぎてから・・
平成4年、23歳の時に初めて天河に入ったことが大きかった。
近鉄下市口の駅からバスで、1時間半かけて山の中を登った。途中から真っ暗になり、こんな場所に人が住んでいるのか不安になった。お化けが出そうなトンネルを超えて川合から坪ノ内でバスから降りると山の中に集落があった。
当時の天河神社は、吉野ヒノキの社殿が真っ白で、夜は毎晩ライトアップされていた。裏の民宿から階段を登ると、目の前に当時から超有名人だった柿坂宮司が立っていて黙ってこちらを見つめていた。初めは、あっ有名人だと思って黙っていたが、しばらくすると宮司は社殿の中に姿を消した。
天河の祭典に出て、初めて「生きた祭祀」というものを目の当たりにした。天河で祭祀に参加するために花形の職業を辞めて移り住んだ神職もいたというが、然も有りなん。10代から色々本は読んでいたが、本の中の奇跡みたいな世界が目の前で展開されたのだ。
天河は三回来ないと、本当の天河はわからないと言われた。なるほどと、最初の旅で次回の予約を入れてしまった。
つぎは、節分の鬼の宿の神事に、天河を訪れた。膝上まで積もる大雪(それでも天河の雪は少なくなったと言う)の中を、タクシーで天河まで向かった。
鬼の宿は、鬼(祖霊)が社家の家に訪れるのをもてなす神事だが、夜七時からの祭典までしんしんと降り積もる雪の中の祭典が終わり、神社を出ると、あの大雪が止んでしかも空は晴れ渡り、満月の明かりが降り積もった雪を照らす中を神職と崇敬者の一行が歩く風景の超絶な美しさは、私の中で一生忘れられないだろう。
風景と神事の中に神を感じた。
黒川柚月
はじめていらした方は必ず「白い山に黒い川について」の記事をご一読くださいませ、よろしくお願い申し上げます。