【小説を書くことは、旅をするようなものなのである】
以前、どこかで作家の平野啓一郎さんが言っていたことなのですが、
「小説と言っても一つの場所ですから。短編を書く時には日帰り旅行の準備になるし、長編を書く時にはそれなりの準備が必要になる」
というようなことを聞きました。
これに酷く感銘を受けたボクは、今回このようにして記事を書いている訳です。
「短編」「長編」といったくくりは、もう当たり前のように分けられていて、そりゃもちろんその気持ちは分かるのだけど、書く〝モチベーション〟という部分ではあまり違いはないと思います。
ボクの場合ですが、何かしらのネタが浮かんできて「さあ、書こう」となるのですが、「さて、短くするか、長くするか」という壁に最初にぶち当たります。
しかしながら短いつもりで書き始めて、長くなってしまうパターンはよくあります。(逆はないかな)
書く前にまず「長編か短編か」となるので、やはりこの〝準備段階の違い〟はとても共感できました。
あ、そうそう。ボクは長編も書いています。よろしかったら、どうぞ。
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何よりも「旅」という表現が秀逸かと思っていて、小説を一つの「場」と捉えることにも面白みを感じました。
長い作品を書いていると、やはりその作品に関わっている時間は長くなるし、長編になるとやはりプロットとかをとても意識して書いたりしています。
— もし実際に海外に住んだとしたら、その国の習わしや生活習慣、はたまた税金のことをやはり学ばなくてはいけないですね。
しかし短編は自分のある意味「思いつき」でもどうにかなったりするものですし、そこまで筋にこだわる必要はありません。そこまで考えなくても、物語は成り立つように思います。
— 一週間くらいの海外旅行の感覚ですね。好きなところだけ行って、笑って写真を撮って、美味しいもの食べて、さあ帰ろう。みたいなものです。
どちらが良い悪いではなく、どちらもとても楽しいのですね。
長編は多少なりとも責任みたいなものを感じたりしますが、その分もっともっとそのキャラクター(海外滞在した国)を深く好きになっていって、依存しますけど、短編だとあまりそういうことはない。
だけど、たまにはちょっと旅行も行きたいじゃん。みたいな時は短編(一週間旅行)を書いてみたり。
これまでは書き手の話ですが、書き手だけに限ったことではなく、読み手にも通ずる部分があると思います。
長編だとやはり少し気負うし、短編の方が気がラクかな?とボクは感じているし、実際自分はそうやって小説を読み始めたりしています。
どちらも良い。どちらも素敵。ただボクはそのように感じています。
ちなみにここnoteには【「直感」文学】というマガジンを作っていて、これはもう短編にも満たない「ショートショートショート作品」を掲載しています。
そうですね、 — 国内の日帰り温泉旅行。くらいのものなのです。
「ちょっとだけ息抜き」
忙しい毎日だもの。それだったら毎日でもいいでしょう?
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