【コラム】北野武がお札になる日もそう遠くないんじゃないか。
僕はビートたけしが好きだ。
なぜ好きなのか分からないけれど、なんだか好きだ。
昔のオールナイトニッポンなんかを聞いていると、今の彼からは考えられない程、キレッキレな喋りで笑いまくる。笑い、悶え苦しむ。
それくらい好きだ。
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今回の話は、そんなたけしがいずれお札になるんじゃないか、って話。
今現在、日本貨幣に移っているのは、野口英世(医学博士、研究者)、樋口一葉(作家、歌人)、福沢諭吉(著述家、教育者)、であるのだが、これをふと不思議に思ったことがある。
以前、「1000円って野口英世の前って誰だっけ?」みたいなことを言い出したやつがいて、
「夏目漱石だろ?」
と言い返した僕であったが、そこでふと思った。
”「作家」がお札になれるのか。”
いや、実に恐れ多いことを言ってしまったようだが、事実、そう思ってしまったのだから仕方ない。
もちろん夏目漱石は偉大な作家であることに間違いはない。
「我輩は猫である」なんかは読んだことはなくても、名前くらいは大半の人が聞いたことがあるのではないかだろうか。
今もなお、名著として語り継がれるのであるから、まあとんでもない「作家」である。
しかし現代、「作家」という職業が、昔ほど影響力がないのも事実なのではないかと思う。
これには色々な理由があると思うのだけど、今は「読み物」以外の刺激が多すぎる。
これだけたくさんの「娯楽」がある世の中で、「読み物」が昔と同じ地位を築けなくなってしまっているのは、しょうがない、というか自然の摂理なんではないかと思う。
しかし当時、「作家」という職業はそれほどに影響力のあったものなのだろう。
現存する出版社を見てみてもそれは分かる。
非常に立派な建物である。
一時代を大きくになった業績が、それとなく現れているのだろう。
その後「テレビ」が台頭し、テレビはなくてはならない存在になった。
それも現存のテレビ局を見れば分かると思う。実に立派な建物である。
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そしてこういった流れを、職業に落とし込んでいくと、「芸人」という仕事が、とんでもない影響力を持っていった流れを感じる。
80年代に漫才ブームが起き、それからの「芸人」という職業の成り上がり方は半端なものではない。
今では、芸人が司会を務める番組はとても多く、視聴率も良いと聞く。
「芸人」という職業は一時代を間違いなく築いたのだろう。
そこに「ビートたけし」である。
いや、「タモリ」かもしれない、いや、「明石家さんま」かもしれない。
という憶測も飛ぶが、私見としてはたけしが一番お札に近いのではないだろうか、と思うのである。
というのも、一番アイコンとして引き立つように思うのだ。
彼は芸人という枠以外にも、「映画監督」であったり、「画家」であったり、「作家」であったりする。
そういった多岐に渡る活躍を見せた人の方が、「アイコン」として扱いやすいのではないだろうかと。
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個人的には、コマネチをしているたけしがお札に写っていたら面白いだろう、と思うのだけど、おそらくシュッとした格好良いたけしが写るのだろう。
「ビートたけし」ではなく「北野武」が写ることになる。
その未来では、「北野武って誰?何した人?」みたいな会話がなされ、「え?芸人なんだって!芸人がお札になんかなれるのか」と、僕みたいなことを思う輩が現れるかもしれない。
だけど現在を生きる僕としては、その可能性がないとは言えないのが事実だ。
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時代というのは非常に面白いものである。
100年後なんてものは、全くもって見通すことが出来ない。
だから僕は今、そんな下らない予想を立てながら、楽しく現代を生きていくしかないのだ。
……いや、もしかしたら貨幣なんてものがなくなる可能性だってありうるのだけど。
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