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【コラム】言葉を超えた、言葉があるらしい


 「言葉」を超えた「言葉」とは、なんだろう?

 といった疑問を持って頂けたでしょうか?

 では早速答えですが、それは「比喩」だそうです。

 え? 「なーんだ」という感じですか?

 いやいや、すみません。でも僕はこの話が大好きなので、ちょっと時間を下さい。

 ずっと前になるのですが、本の虫である友人とお酒を飲んでいた時に、

 「言葉を超えたものを作りたいなら文学を読め」

 と言われました、まあその人にしてみたら僕は全然本を読んでいなかったので、素直に「へえー、そうなんですかー」とビール左手、枝豆右手、に持ちながらなんとなしに聞いていました。

 「いやいや、ちゃんと聞けって」

 と言われ、ようやく僕は枝豆を皿に戻し、ビールをテーブルに置きます。

 「それで?どういうこと?」

 と僕は聞き返します。

 「だからな例えばな、昔読んだ小説なんだけど、『小鳥の肌を触ったようだ』という一節がある。これ分かるか?」

 と言われ、「ああ、小鳥ですか、きっと気持ちがいいのでしょうね」と僕は返したのですが、

 「アホか」

 と一蹴。

 「これはオールバックだってことを言ってるんだよ。『小鳥の肌を触ったように、なめらかなオールバック』という意味だ」

 と、友人も酔っ払っていたのでしょうね。普段あまり喋らないくせに、その時は饒舌でした。

 比喩、というものは確かに使う人が使うと、とても素晴らしいものに化けることもある。

 この例は、とても素晴らしいものであると素直に思えます。

 しかしまあ、~のようだ、って言えばとりあえず比喩になるようなので、まあそこはやはり使う人が使えば、ということになる。

 僕が感銘を受けたのは、別に比喩の素晴らしさなんかじゃなくて、

 「言葉を超えたもの」

 という1フレーズでした。

 「言葉」を超えたもの。まあオチとしてそれは「言葉」なのですが、

 「言葉」を超えた「言葉」ってなんだか素晴らしいと思うんですね、その響きが。

 結局「言葉」を超えても「言葉」なんだって……(笑)なんかそういう愛らしさもある。

 まあ何が言いたいかと言いますと、

 普段当たり前のように使っている言葉ですが、おそらく決まった「言葉」を繰り返しているだけなのだと思うのですね、私たちは。

 洋服をたくさん持っているのに、結局着るのは同じ服。

 よく行く定食屋にはたくさんのメニューがあるのに、いつも同じ豚生姜焼き定食。

 のような感じで、

 たくさんの言葉が溢れているのに、使う言葉はいつも同じ。

 ということになってしまっている。

 それはラクでいいのですけどね、たまに素晴らしい「言葉」、素晴らしい「比喩」に出会うと感動出来るのです。僕は。

 こんなにも日常に溢れている、もう本当に当たり前のように接している「言葉」なのに、一々感動しちゃうんですね。

 きっとその感動するものは「言葉」を超えた「言葉」なんだと思います。

 「言葉」はとても奥深い。

 そして、私たちの「ことば」である「日本語」は、緻密で繊細で、本当に素敵な言語だと思います。

■古びた町の本屋さん
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