『短編』スタディルーム 最終回 /全4回
「あんたはさ、なんか向いてなさそうだよね。結婚とか、家族とか」
ずっと昔、姉に言われた言葉だ。確か二十歳を過ぎてすぐの頃。俺自身そんなことを現実的に考えたことなんてなかったから「ああ、そうかもね」なんて適当に言ったが、自分は向いているというその姉の物言いに少しムッとしたことも覚えている。
「じゃあ何、姉貴は向いてるって言いたいの?」
「まあね、私はほら。証明しているから」
と言って大きくなった自分のお腹をさすりながら言った。姉貴がそう言えるのは、正樹(まさき)さんのおかげだろうと思いながらもぐっと堪えた。
「どうなんですか?姉貴は。ちゃんと奥さんやれてるんですか?」
里帰りで姉貴家族が実家に戻って来ていた時があった。たまたま正樹さんと二人きりになった時、俺は思わずそう聞いた。
「どうしたの?あまりちゃんとやれなそうなお姉ちゃんだった?」
「まあ、向いてるとは思えませんけどね」
「そうかな。僕にとってはしっかりした奥さんだよ。それにちゃんと努力してる」
「努力?」
「そうそう。最初はね、料理とか作りたがるんだけど、……まあお世辞にも美味しいとは言えなかったよ」
そう言いながら正樹さんは笑った。「でもね、そんな時彼女はちゃんど努力する。僕も一人暮らし長かったから料理とかそれなりに出来ていたんだけど、すぐに抜かれちゃったよね。今じゃもう手の届かないところにいるよ」
「へぇー。そんな一面があるんですか」
「環境は人を変えるから。人って、変わることの出来る素晴らしい生き物だよね」
正樹さんはたまに突飛なことを言う。だけど、俺はそんな正樹さんが好きだった。ほとんど会うことはないし、どういう人かほとんど知らないけど、なんだか彼の発するそのオーラが好きだった。のんびりとした、オレンジ色みたいな優しいオーラだ。
衣江の第一印象は正にそれだった。オレンジの人。俺はそう感じた。そしてはそれはその人がどんな人であろうと俺に好意を抱かせるに値するものだった。
「オレンジ色なんだ、衣江は」
「ええ、何。オレンジ?」
俺がそう言った時、衣江は笑っていたけど、俺は本気だった。
「君と結婚したいんだ」
*
「ありがとうございました」
会計を済ませファミレスのドアを開けた。外で〝24〟と書かれた看板が煌々と光っていた。この時間だとさすがに歩いている人もほとんどいない。吐いた息が少し白みがかっている。
「もうすぐ冬か」
と冷たい空気の中で漏れた独り言。会計をした時の女の子は、俺が入った時に案内してくれた女の子と同じだった。そうだ。皆それぞれ必死に頑張っている。時間なんて関係ないし、この時間に起きて仕事をしているのは俺だけじゃない、ただ俺が見ていないだけで、もっともっとたくさんいるのだろう。自分は何をしているのだろう、と考えた自分が少し恥ずかしくなってくる。俺だけじゃない。衣江だって何度も起きている、夜泣きを繰り返すあの子だって、必死に生きようとしている。
みんな、ただ生きようとしているだけじゃないか。それくらい単純じゃないか。なんでそれに気付かなかったんだろう。ああ、また明日はすぐに来る。俺はまた明日も必死に生きてやろうと思う。それが何よりも大切なことだと思えたから。
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