長編小説『becase』 39
「あの、何か御用ですか?」
その言葉を聞いて、皆は少し安心したようで、それぞれの仕事を再開した。彼に向けられていた視線はその一言で随分と減ったのではないだろうか。
「あ……いえ」
彼はただそう言っただけだった。少しオフィスを眺めるようにして、先ほど降りたばかりのエレベーターにまた向き合い、矢印が下を向いているボタンを押した。
そんな彼の態度に私を含めたそこにいた皆はまた疑いの眼差しを向け、その眼差しを彼の背中が一心に受けている。エレベーターはまた七階にいて、この四階に到着するまで時間がかかった。多分、こんな淀んだ空気の中で、しかも背中に痛い視線を感じながら待つエレベーターは彼にとってはとても長い時間だったんじゃないかって思う。やっと到着したエレベーターに乗り込み、彼はそのまま下へと降りていった。
「誰?今の?」
ドアが閉まると、先輩にあたる女性が私にそう問いかけてきた。
「いえ……分かりません」
正直にそう言うしかなかった。その一言で私が本当に何も知らないと悟った先輩は「そお……」とだけ言って、まだ彼が乗ったばかりのエレベーターを警戒しながらも自分のデスクへと戻っていった。
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