「直感」文学 *指先の調べ*
ピアノの音はどうしてか、僕をずっと底の方に追いやってしまう。
それは決して悪い意味じゃない、むしろ僕が望んで落ちていっているようにも思えるのだから、不思議なもんだ。
「どうだった?」
僕の彼女の麻友(まゆ)はピアノが弾けて、家に大きなグランドピアノがあった。「別にうちが裕福な訳じゃないのよ。この家にはずっと昔からあるんだって。このピアノが」と彼女は言ったけど、その家の大きさを見れば、彼女の家が裕福であるかないかはなんとなく察することが出来る。彼女はおそらく、裕福層の人間だろう。
「そんなにピアノが好きならさ、弾いてみればいいのに。結構簡単なのよ」
と麻友は言うけれど、
「僕はいいんだよ。弾くよりも、聴くことの方が好きだから」
と僕は返した。そうすると決まって、
「音楽って絶対聴くより、自分がやる方が面白いのに」と返されるのだった。
「ねえほら、ちょっとここ座ってよ」
と促されるけど、僕はそれを断った。僕はピアノが弾けない。弾こうと思ったこともない。僕はただその音を聞いているだけで幸せでいられたし、麻友は「自分でやった方が面白いと言うけれど、それはきっと人によるんじゃないかって思う。
「僕はいい。ピアノは弾ける気がしないよ。それよりももう一曲何かお願いしたい」
「えー、ずっと聴いてばっかりじゃん。私だって疲れるんだから」
と文句を言いながらも、麻友は椅子に腰を下ろした。
「最後だからね」
と言いながらも、彼女の指は繊細に動き出す。ポン、という音の中に溺れる。
だけど、一つだけは秘密にしておこう。
僕はこの音に溺れているんじゃない。僕はその細やかな彼女の指の動きに、心奪われてしまっているのだった。
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