長編小説『becase』 22
意味が分からなかった。この二人からしてみれば、私の方が意味不明な人間に映ったかもしれない。ただ、それでもやっぱり、昨日彼がここで、この席で、生姜焼きを食べたなんて事が信じられなかった。こんなに家の近くの店に来て、なんで家に帰って来ないのだろう。
百歩譲って帰って来ない事をいいとしても、だったらなんで私の前から消えたのだろう。そんな事を考えていて頭に過るのは、「自分でも気付いていないところで、彼を傷つけていた」と言ったでんぱちの言葉だった、それはきっと間違っていないのだ。
そんな事が理由でないとしても、彼が消えた理由の大元は確実に私の中にある何かなのだろう。急に言葉が出なくなった。口を固く閉ざして、上と下の唇がくっついてしまっているのか、顎の動かし方を忘れてしまったのか、それどころじゃない、顔の筋肉の動かし方だって忘れてしまったみたいだ。
「おい、なんか言えよ」
でんぱちが相変わらず私を茶化している。店の店主は相変わらず微笑んだままだ。カウンターに出されている焼かれた魚は無表情なはずなのに、その目だけは私を嘲笑っているように見える。全てが私を馬鹿にしているようだった。すべて自業自得だと言われているような惨めな気持ちを、存分に味わい、味わい尽くしてしまった。
割り箸を乱暴に割って、焼き魚に噛りつく。その姿を見て、調子に乗ったでんぱちが
「おお?なんだ急に!」
なんてまた馬鹿にしてくる。もう、どうとでもなれと思った。彼なんてどこかで勝手に死んでしまえばいいんだ。むかつく。むかつく。むかつく。
「おいおい、そんなに一気に食べると骨が……」
でんぱちの威勢のよかった言葉が途切れた。どうだ、そんな私を見て怯んだのだろう?大粒の涙を流しながら、魚に食らいつく女なんて初めて見るんだろう?
私は悲しくて悲しくて、もうそのごちゃごちゃに混ざったいろんな感情を全て涙として外に流すしかなかった。