長編小説『becase』 15
「でも……やっぱり分からないです」
やっと口を開けた美知の声はやはり、とても小さなものだった。
「美知ちゃんにも、好きな人ができたら分かるよ」
こういう言い方はあまり好きじゃないけど、それ以外に言葉が思い付かなかった。私は少し、この子の奇麗な横顔に嫉妬しているのかもしれない。
「……どうにかなりませんか?」
「どうにか?」
「どうにか、仕事を辞めないで済む方法……」
美知の目がまた私に向けられる。その瞬間に私と目が合い、私の目は吸い込まれてしまいそうだった。
「あのさ」
「……はい」
「あの……なんで?」
「……え?」
「いや、あのね、なんでそんなに私を引き止めようとするのかと思って」
「……それは」
分かるような気はする。元々口数の少ない美知だけど、そんな数少ない口数の中のほとんどを私に使っている気がする。今の会社で美知と誰かが親しげに話している姿なんて見た事がなかった。と言ったって、この私でさえ彼女と話している時に、外から見る親しげな会話には見えないと思う。ただ少しばかりの言葉を交わす程度。そんな弱々しい会話しかしていない。それでも、多分、私は美知に近い存在だったんじゃないかって思ったりしている。
「……私が辞めると寂しいの?」
美知から目を逸らして言った。少し意地悪な聞き方だったかもしれない。でも、そう言った後の後悔はなかった。
「……寂しい、です」
馬鹿に正直な子だった。それを聞いた瞬間に私は不意打ちをついてこようとする涙を必死に堪えた。どうしてそんな気持ちになってしまうのだろう。彼が私の目の前から消えてしまったせいももちろんあるだろうけど、それだけではない気がしている。彼の分かりにくい愛とは相反するような、こんな純粋で、初心な愛に心を持って行かれそうだ。