右と左の話
今日箸を持った時、見た夢を思い出した。その夢は、誰かと何かを食べている時だった。左で箸を持っている俺を、その人は左で箸を持つのは良くないと指摘した。俺は強情にも右でも持てるわ、と言い切り、右手で持とうとするも夢の中でさえちゃんと持てた感触はなかった。
今思えば食事で左利きを非難されたのは初めてだ。多分、フランス人に、京都でテッシュを人から借りるのは無礼だとどこかで聴いた、と言われた記憶と混じって生まれた夢なのかもしれない。
おそらく自分は元から左利きだった。箸も鉛筆もハサミも左で使っていただろう。しかし、幼少期に母が硬筆の塾に通わせたのをきっかけに鉛筆を右利きに矯正したのを覚えている。その理由は字が汚いからだ。利き手を矯正しても、字が汚いのは変わらない。頑張って書いても、自分には字を書く才能がないのかと思うぐらい、字の線が醜い。
鉛筆の利き手を矯正できたのは、当時右と左をあまり区別していなかったからだ。
小学校の授業参観で右手挙げてと言われて左手を思いっきり挙げたという話を、母はよくしてくる。中学のとき、視力検査の時、右と左がわからず適当に答えていたという苦労がある。元々目が悪かったが。視力検査の板に、右と左の文字を書いていた、小学校の保健室が懐かしい。今でも右と左の言葉と意味が一致するのに時間がかかるし、あまり使わないか意識しない。
最近になってフォークが左利きなのに気づいた。
中学の頃、
はっきりと区別するようになったのは、教習所に通い始めてからだろう。
未完