【蓮ノ空感想文】乙宗梢の「Kawaii」について
突然ですが、乙宗梢さんって可愛いですよね。
皆さんは、このような所作の中にどういった可愛さを見出したでしょうか。
・照れてて可愛い
・こぢんまりしてて可愛い
・がんばってて可愛い
色々あるかと思います。実際その通りです。照れている女の子って可愛いですからね。
しかし、私が今回訴えたいのは「乙宗梢はKawaiiということ」についてです。
Kawaii no susumeという楽曲を思い出した貴方、正解です。
私個人の解釈として、身の丈を越えた「可愛い」に手を伸ばし、可愛くあろうとする姿を「Kawaii」だと思っています。まさに曲中で描かれる女の子像です。
勇気を出して可愛くあろうとすることを推奨する歌、だから「Kawaii no susume」。
可愛くあろうとする女の子はそれだけで可愛いので、「Kawaii」と「可愛い」は同等の価値があると言えます。
話は戻って、先ほどの梢の所作について。
躊躇するところ、どんなポーズも出遅れるだけで絶対にやってくれるところ、
まさに「Kawaii」ではありませんか?
極めつけは2023年12月7日のWith×MEETS「梢先輩に「気品」を学ぼう!」にて。
過剰なまでの自己評価の低さ、それでも「可愛さを学びたい」という心意気、教わった通り「ちっちゃくなると可愛いのね…」と呟きながら縮こまる姿、「私も引き続き可愛らしさを研究していくわ」というコメント。
あまりにも「Kawaii」ではありませんか?
可愛くあろうとしているのはめぐちゃんも同じでは…?と思われるかもしれませんが、この世のどんな「可愛い」も藤島慈のスケールに収まってしまうので、残念ながら「身の丈を超えた可愛さに手を伸ばす」ことがないでしょう。
機械さん絡みの梢に関しても同じことが言えて、アレも可愛いのですが、等身大の乙宗梢の中の「可愛い」に過ぎないのです。
ここまで「Kawaii」についての持論、等身大の「可愛い」との違いについてお話してきました。ですが、この2つに当てはまらない「可愛い」も存在します。それがこちら。
「ウインクはできるけど得意ではない。勇気が必要(3月6日「乙宗梢と振り返るWith×MEETS」After配信より)」とか言ってたクセに、ウインクに留まらず投げキッスのオマケ付きとやりたい放題。
活動記録内のアニメーションでは頻繁にウインクしているような気もしますが、ステージ上や配信といった公衆の面前だとまた違った話なのだろうと思います。
しかしこのイラストは見るからに「ステージ上での一幕」です。「ステージ上で、公衆の面前で、恥じらいも躊躇もなくウインクと投げキッスをしている」のです。
そうです。「Kawaii」の果てにある「可愛い」。「Kawaii」が大好きな私が理想とする「可愛い」です。
ただ、これは「子どものようにはしゃいでみたい」という一時の高揚感に基づく所作であり、ここに至るまでに勇気を振り絞ったということも恐らくないでしょう。
しかし、例え無意識下であっても、これは本来「勇気を出した先にある姿」ということになります。明らかに等身大を超過し、身の丈を越えた可愛い姿です。プロセスは一旦置いておいて、私にとってはこれが「Kawaiiの果てにある、理想の可愛い乙宗梢」の姿なんです。
「プロセスを置いといていいの?」と思われるかもしれません。しかし、こうも考えられます。
まだ「可愛い」を乗りこなしているわけではなく今後も「Kawaii」を見られるにも関わらず先に理想の「可愛い」姿を拝めることは、この上なく美味しい。と。
いつか「可愛い」を等身大の中に収め、「Kawaii」ではなくなる日が来るのかもしれません。
子離れする親の心情にも似ていて、私はその日を待ち侘びながらも恐れているのです。
恐れていながらも、可愛くあろうとする女の子にいつか「可愛い」を乗りこなして欲しいという思いは捨てるべきではありません。
いつか、勇気のその先で、本当の「Kawaii」を越えた「可愛い」が見られることを願っています。
「Kawaii」の、その先へ。乙宗梢よ、可愛くあれ。