趣味-サッカー(vol.1)
初めましての人は初めまして、平山優と申しますm(_ _)m
自己紹介投稿を継続させていただきます♪
今回紹介させていただくのは昔からの趣味、サッカーについて語らせていただきます。
まずはサッカーが趣味になったきっかけから。
ぼくがサッカーを好きになったきっかけは父親の影響です。
父親がJリーグの鹿島アントラーズが大好きで、おそらく息子にもサッカーをしてほしかったんでしょうね。
小学校1年の時のサンタさんからのプレゼントは本人の希望は一切反映されず、サッカーボールでした(笑
当時の父親からの洗脳(?)もあり、アントラーズレジェンドの方々は「君の年代でよく知っているね」と言われるくらい知っています(*^^*)
(敬称略)奈良橋、秋田、相馬、本田、ビスマルクから始まり、柳沢、小笠原、本山、中田(浩)あたりはぼくのサッカーアイデンティティを形成したと言っても過言ではありません(*^▽^*)
柳沢選手に関しては、一般的には「誰もが決められるゴールを外す人」のいう印象があるかもしれませんが、
日本サッカーが発展した礎を築いた選手の一人だと思っています(^^)
(ご要望があれば、柳沢選手で1記事書きます)
そんなJリーグしか知らなかった少年が世界を知ることになったのが1998年、フランスW杯でした。
いわゆる野人岡野フィーバーの時です(笑
当時はW杯フィーバーで、色んなメディアが世界の注目選手を取り上げていて、
そこで色んな選手を知りました。
余談ですが、当時イングランドのワンダーボーイ、デイビッド・ベッカムが酷評された大会がこの大会で、
その結果を作った現況が現アトレティコ・マドリードの監督であるチョロことディエゴ・シメオネです。
このW杯を境に中田英寿選手がイタリアに移籍して、日本でヨーロッパサッカーへの関心が高まります。
(のちに中田選手が移籍したパルマはまた語りたいです)
当時世界最高峰リーグと言えば「セリエA」、そこに移籍した中田選手の偉大さと、
その後のマーケットを確立した功績を考えると、今なお当時の関係者に年間数千万のお金が流れてしかるべきだなと思います。
正直当時のセリエを語るとこのnoteがサッカーだらけになりますので、今回は割愛いたしますが、
当時のサッカー(カルチョ)は色気がありましたね(*^▽^*)
個々にフォーカスするときりがないですが、すべての人の年表に必ず入っているのは「フェノメノン・ロナウド」かなと思っています!
(CR7が「ロナウド」と呼ばれない理由は、この型がいるからです)
サッカーについて端的にまとめようと思いましたが、書いていると自分の感情があふれ出てくるため、
この投稿の反響次第で、また深堀しようと思います♪
次回の投稿の内容を決めるのは、皆さまですm(_ _)m