映画感想『ロスト・イン・ラ・マンチャ』
『LOST IN LA MANCHA』2002年
キース・フルトン、ルイス・ペペ監督
きっかけ:友達にLINEで勧められて
見た場所:Amazon Prime Video
完成しなかった映画のメイキング
2002年のドキュメンタリー映画である。
テリー・ギリアム監督による映画『ドン・キホーテを殺した男』のメイキング映画として撮影されていたが、本編映画がお蔵入りになったことで「完成しなかった映画のメイキング」という珍しい立ち位置になった作品。
おすすめしてくれた友人によると「クリエイティブな仕事に携わる者に勇気を与えてくれる」とのことで、前情報をほぼ入れない状態で鑑賞した。
ドキュメンタリーは、撮影準備から撮影開始の数週間を撮っている。
ギリアムの前作『バロン』が失敗した影響からか、映画本編はすべてヨーロッパ資本で製作されたらしい。ロケ地はスペインで、スタッフ間の会話も英語以外の言語が飛び交っている。
冒頭のギリアムは、ずっと楽しそうだった。巨人役の個性的な役者によるテスト撮影のはしゃいだ様子、衣装合わせにアレンジを加えて夢が膨らんでいる様子、「この俳優しか考えられない」とキャスティングについて誇らしげに語る様子……。そこかしこに期待を感じるシーンが続くが、少しずつトラブルが発生し、じわじわと重い空気が漂いはじめる。
女優の出演契約が滞っているぐらいはまだかわいい。
馬は調教不足で演技してくれないし、撮影地隣の空軍基地を発着する飛行機の騒音がセリフをかき消すし、嵐がやってきて機材が流されたかと思えばロケ地の乾いた荒地は湿地になるし、とどめに主演俳優は椎間板ヘルニアが重症化して降板が確定する。
ギリアムは都度、ポジティブというか強引な解決策を持ち出して撮影を続行しようとするが、最終的には製作を中止せざるをえない状況になってしまった。
後半は、費用や進捗について冷酷に干渉するプロデューサー、俳優の疾患は保険対象外だと切り捨てる保険会社担当など、普段映画を観ている時には意識しない人たちが前に出てくる。
※彼らは自分の仕事をしているだけだが、なんとなく悪人風な描写になっている。
その後も「商業製作物としての映画は、収益をあげることが大前提なのだな」ということを強調するくだりは続き、夢と理想だけでプロジェクトを維持できないことをギリアムも観ている人も知ることになる。
撮影の継続不可能が見えてきてきているのに、撮影現場には融資者たちが「見学」ということで大挙して押し寄せ、笑顔で記念撮影させられているギリアムはかなり苛立っているように見えた。
最終的に、脚本の権利は保険会社に渡ってしまう。
商業クリエイティブはどこまでわがままを通せるのか?
テリー・ギリアムの映画は、「12モンキーズ」「ローズ・イン・タイドランド」しか観ていないが、いずれも世界観に美意識と狂気があって、好きな映画だった。登場人物たちが持つ悲しく哀れな存在感と、美術や衣装ににじみでるこだわったデザインの対比が好きだった。
ドキュメンタリー中の主軸では語られていないが、ちらっと映った倉庫には、数え切れないほどのハンガーラックが居並び、1000着以上の衣装が吊るされていた。きっと、その一着一着に、ギリアムや衣装スタッフの思い入れが込められていただろう。
撮影中断が決まったあと、出番が無くなった衣装や小道具を箱詰めして片付けるスタッフたちが映っていたが、どんなにやりきれない心境だったんだろうか。
商業クリエイティブは、「利益を出すこと」と「自分のやりたいこと」をどのバランスで詰め込むかが醍醐味だ。私が関わっている広告やECの世界では”商業”のニュアンスがかなり強いが、エンターテイメントコンテンツでは表現や作家性も重要な部分なので、線引きやバランスが難しいだろう。それは、わがままなのか譲ってはいけない部分なのか。
ギリアムのような個性の強いクリエイターの場合は、なおさらに繊細なバランスが求められるように思う。
そして『ドン・キホーテを殺した男』の中断から18年後、テリー・ギリアムは脚本の権利を買い戻し、キャストもあらすじも変えて映画を完成させた。
今、映画館で公開中の『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』がそれだ。
『ロスト・イン・ラマンチャ』を観たからには、こちらも観に行く。必ず!
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