
アメリカ人は借金でインフレと戦ってきた
2024年11月5日、トランプが大統領選で勝利した直後、アメリカ株式市場は大きく反応し、S&P 500(Standard & Poor's 500)などは急上昇した。そして、11月11日には歴史的なAll Time High (ATH)、史上最高値となる6,000ポイントに到達した。

S&P 500はアメリカの株式市場を代表する株価指数の1つで、米国の主要500社の株式で構成されている。投資家にとって市場全体の動向を示す重要な指標であり、アメリカ経済の健康状態やパフォーマンスを測るためによく使用される。
その後、S&P 500は利益確定の動きによる多少の調整を経て横ばいの状態が続いていたが、2024年11月15日(金曜日)、株式市場全体が大きく下落し、11日からの累計で2%以上の下落となった。これは約1兆500億ドルの市場損失に相当する。

11月14日のパウエルの発言
株式市場急落の前日の講演で、米連邦準備制度理事会(FRB)議長のパウエルが「急いで金利を下げる必要はない」と発言した。その発言を受け、市場は急落した。一般に、金利が下がると借入コストが低下し、企業活動が活発化する傾向があるが、逆に金利が高いとその抑制効果が働く。それが今回の急落に反映されたと考えられる。

FRBは金利の上げ下げをして、経済の舵取りを行っている。
例えば、以下のチャートをみてもわかるように、コロナ禍の2年間は金利0%に設定したが、その後インフレと戦うために2023年7月には5.5%まであげた。

インフレーションは、2022年に7%のピークで達した。

理想の経済
FRBの目的は失業率とインフレを安定させることにある。失業率が上がると金利を下げ、失業率が下がり過ぎると金利をあげる。インフレに対しては金利を上げ、リセッション(景気後退)では金利を下げる。
理想の失業率とインフレは次のような%である。
失業率:4~4.5%
インフレ:2%
FRBはこの理想を保持するために、短期金利(1年以内の金利で、主に金融機関の資金取引に関連する)をさまざまな手法で調整する。
しかし現在の短期金利 の4.5~4.75%は、依然として高い水準だ。この金利は住宅ローンなどに影響する。コロナ禍で3%だった住宅ローンの利息は、現在、7%台である。アメリカの住宅平均価格である5000万円の30年ローンの利息は多くな違いである。
5,000万円(約50万ドル)の30年ローンの場合、3%と7%の住宅ローンの比較は以下の通りだ。
金利3%の月々の支払い額: 21万円
金利7%の月々の支払い額: 33万円
月々の支払い額の差額: 12万円
30年間の総支払い額の差額: 4千300万円
金利が高くなると、月々の支払い額が大幅に増え、ローン全体の総支払い額も大きくなることがわかる。つまり、短期金利は国民の生活を圧迫する一因ともなり得るのだ。
では、理想的な金利水準とはどの程度なのか。FRBのターゲット(ニュートラル金利)は2~3%とされている。これは、失業率が4%、インフレ率が2%、金利が2~3%である状態が、経済が理想的に機能していることを意味する。

すなわちパウエルは、現在の短期金利である4.5~4.75%を理想的な水準へと引き下げていきたいと考えている。
ソフト・ランディング
では、なぜパウエル議長は株式市場に影響を与えるような「利下げを急ぐ必要はない」という発言をしたのか。
パウエルが目指しているのは「ソフト・ランディング」だ。コロナ禍によって歪んだ経済を急速に理想的な状態へ戻すのではなく、段階的に調整を進めることで、無理なく安定した経済成長を実現しようとしてる。
失業率は4%台を維持し、インフレ率も3%を下回っているが、目標の2%にはまだ達していない。 利下げを急ぐと、再びインフレが加速するリスクもある。雇用と賃金の伸びも下がってきているが、インフレを抑えるためには多少はしかたがない。
そして経済は依然として好調である。S&P500はトランプ大統領の再選後、3.5%上昇し、初めて6,000ポイントを超えた。パウエルがこれ以上の下支えは必要ないと考えても不思議ではない。

恐ろしいデータ
アメリカ人の貯蓄額は、2021年8月時点で2.1兆米ドル(約372兆円)に達していた。しかし、2024年9月時点では赤字に転じ、マイナス2910億米ドル(約4兆5000億円)の「マイナス貯蓄」となっている。つまり、コロナ禍で政府が提供した支援金(刷ったドル)を使い果たしただけでなく、借金をしている状況である。

現在のクレジットカードの残高は最高記録を超え、1.2兆米ドル、約186兆円に到達しようとしている。

自動車ローンの90日以上延滞率は、2010年に5.3%でピークを記録したが、2024年第2四半期には4.4%まで再び上昇している。一方、30日以上の延滞率は2009年に10.9%でピークを迎えたが、2024年第2四半期には再び8.0%を超えている。

雇用は本当に大丈夫か
ここで注目すべきは、2024年10月のNonfarm Payroll(非農業部門雇用者数)である。市場予想の10万件を大幅に下回わり、1万2千件の増加にとどまった。ちなみに、9月には20万件近くの雇用が増加していた。

さらに詳細を確認すると、民間部門の雇用は減少しており、政府部門の雇用増加が全体の数字を押し上げた結果、わずか1万2千件の増加となったことが分かる。

Paycheck to Paycheck(ペイチェック・トゥ・ペイチェック)
給料日ごとに生計を立てる状態を「Paycheck to Paycheck」と呼ぶ。これは、毎月の給料が生活費に消えてしまい、貯蓄や余裕資金がほとんどない状態を指す。
2024年10月に発表されたバンク・オブ・アメリカの分析によると、約半数の人が自身の状況を「Paycheck to Paycheck」と回答した。実際の支出データの分析では、約25%の人が給与の大部分を生活必需品(Necessity)の支出に充てていることが明らかになった。

この状態で雇用が悪化した場合、どうなるだろうか。多額の借金を抱え、ギリギリの生活を送る人々が増えている。国民全体としても、すでにマイナス貯蓄の状態だ。
トランプ政権下でのインフレ懸念
パウエルは、長引いたコロナ禍での難しい舵取りを経て、ようやくインフレを抑え、少しずつ金利を下げながら経済を安定させるソフトランディングへの導いてきた。しかし、ここにきて新たな大きな変化への対応を迫られる可能性がある。
来年からのトランプ政権下で注目されるのは関税によるインフレのリスクである。加えて、大規模な移民の強制送還が労働力不足を引き起こし、労働不足が賃金の急激な上昇を引き起こす恐れもある。この影響を抑えるために、パウエルは再び金利を引き上げる必要に迫られるかもしれない。
もう一つの懸念は、トランプ減税による政府の財政赤字拡大が金利のさらなる上昇を招き、それが民間投資を抑制し、リセッション(景気後退)の引き金となる可能性があることだ。それに伴い失業率が上昇する可能性も否定できない。つまり、パウエル議長がこれまで目指してきた、失業率4%、インフレ率2%、金利2~3%という理想的な目標が、トランプ次期政権で完全に崩壊する恐れがあるのだ。

パウエルの戦いは続く
パウエルは2017年にトランプによってFRB議長に任命された。しかし、トランプはパウエルが経済刺激を目的とした利下げを行わなかったことを頻繁に批判し、一時は解任を検討した。
そして2024年11月に再選したトランプが再びパウエルの解任を検討しているという噂がすでに広がっている。

大統領選挙でトランプが勝利した2日後の2024年11月7日、「トランプから辞任を求められた場合に応じるか」という記者の質問に対し、パウエルは即座に「NO(ノー)」と回答した。
