『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』をみんなに見てほしいという話
はじめに(2023年2月)
あの……このノートの記事書いたのって2022年の7月? とかなんですけどね、ちょうど半年前に書いた記事なんですよ。
2021年に公開した映画を、立川でまたやってくれる! っていう喜びのあまり、みんな見てよ! っていう記事だったはずなんですよね。
半年たってみたらどうだよ。
まだやってるよ!
しかも増えるってよ!
新作劇場版 3月10日(金)より 1週間限定で上映が決定! | NEWS|劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト (revuestarlight.com)
というわけで、3月10日から1週間、全国29か所でリバイバル上映!(?)
みんなも映画館でスタァライトされよう(?)
何度でも言いますが封切は2021年6月です。はぁ?
しかも、入場者特典として小冊子が配布されるそうです。はぁあ? 頭おかしい
というわけで、まだこのnoteを読んでいるであろう人がたびたび目にしているであろうワード……『スタァライト』『レヴュースタァライト』『劇ス』……についてなのですが、今日はこれについてちょっと書こうと思った次第。
ただ騒ぐだけじゃなくて、ちょっと真面目に、この作品をみんなにおススメしたいと思った。伝わるような言葉で、真面目にプレゼンしたいと思った次第です。いちおう僕も大学卒、B判定だけど卒論も作品分析で書いたので、そんな僕が「人生何度目かの、『狂っちまうほどハマっているアニメ』」について、ちょっとプレゼンさせてほしいのです。この『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』というアニメーション映画について。
一応、注意事項も兼ねてここで明言しておきます。
これから続く、キリンの首のように長~い文章の内容を一言でまとめると、「とにかく一回観ろ!」です。これからいろいろなことを言うし、アニメや劇場版の内容にもちょっと触れますが、要約するとこう。結局とどのつまりこういうこと。
これを先に明言しておいて、「じゃあ見てみるか」と思った人はもうこの先は読まなくていいです。とっとと観てこい。
「じゃあ読まなくていいし見なくていいや」という人もいると思いますが、それはそれでいいです。気が向いたらまた読みにおいで。
「どういうこと……そこまでお勧めする理由があるの……?」と不思議に思った方、そんなあなたに読んでもらいたくて書いたのです。読め。
①そもそもレヴュースタァライトってなに?
さて第一章。たぶん多くの人が思っているであろう、大きな疑問から解説していきます。すなわち、劇スだのスタァライトだのって言ってるけど、それはそもそも何なんだと。
①-1 『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の概要
今回僕が説明したい『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』とは、読んで字のごとく、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』というアニメの映画版。いちおう時系列的には、アニメの続編にあたる作品です。
もともと『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』とは、作品のタイトルでもあり、同時に大きなコンテンツの相称でもあるのです。この作品は、原作のないオリジナルアニメでもない、かといって漫画やラノベといった形のある原作のアニメ化でもない。
同時多発的にいろんなコンテンツが進行している、いわゆる「メディアミックス作品」にあたります。
時系列を追っていきましょう。
まず2017年4月に、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』というプロジェクトの制作発表がありました。そこで、アニメとミュージカル、双方向から作品を展開していくコンテンツですよ、ということが発表されたのです。
そして同年9月に、ブシロードが原作・原案を手掛けた、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』というミュージカル作品が上演。世に出たのはこっちが先。
そして1年後の2018年7月から、テレビアニメの『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』が放送開始。登場人物や大まかな設定はそのまま引き継ぎ、声優は舞台版のキャストがそのまま続投。『Bang Dream!!』みたいなもん……といって伝わるでしょうか。
つまり、ミュージカルのアニメ化でも、アニメのミュージカル化でもない。まず初めに原案となるキャラクターの設定、物語のアイディアがあり、それを舞台とアニメ、それぞれのメディアで出力する。すなわちメディアミックス、ということです。
現在ではソーシャルゲームも展開されていたり、スピンオフの舞台が続いていたりと、どんどんすそ野を広げていっています。
ですが、アニメとミュージカルは、登場するキャラクターやいくつかのキーワードが共通するだけでぶっちゃけ別物です。
今回紹介するのは、アニメ版、そしてその系譜に連なる劇場版のことです。舞台は舞台で非常に熱狂的なファンも多いのでぜひ見てみよう!
①-2 アニメ版『レヴュースタァライト』のあらすじ
じゃあ、この作品はどんな話なんだ。どんなストーリーなんだ。というのをざっくり説明します。以下、公式サイトからの引用です。
…………、
なんだこりゃ。たぶんそう思ったでしょう。僕も思う。いったいどんな話なのか、全く分からん。こりゃ怪文書だ。まるで意味が分からんぞ! それで正常です。これで分かるのは相当頭のいい人か、相当頭がいいと自分で思い込んでる人です。わかるわけねーだろこんな抽象的な文章で! バーカ。
というわけで僕がもうちょっと具体的に解説します。
まずこの作品の舞台になるのは、「聖翔音楽学園」という女子高。
2018年時点で創立100周年を迎える、由緒正しい女学校。演劇界をけん引する舞台俳優、脚本・演出家を育成するために作られ、未来の舞台人を目指す少女たちが、全国からこぞってこの学校を目指す……という設定。
ぶっちゃけ宝塚みたいなもんです。というかヅカ。作中でも宝塚歌劇団を意識した小道具や演出が多数。
で、この作品の主人公になるのがこの子。「愛城華恋(あいじょう かれん)」。
頭につけてる王冠型の髪留めがトレードマーク。
早起きが苦手、勉強も苦手、レッスンも苦手……と、プリキュア主人公かっていうくらいの、ちょっとダメでおバカで、でも宝塚っぽい学校にすごい高い倍率を潜り抜けて合格しているわけから、めっちゃすごい才能を秘めている、そんな舞台女優の卵。主人公っぽいでしょ? 主人公なんですよ。そりゃもう完璧なくらいに出来すぎの主人公。
で、主人公がいれば脇役もいるもの。個性豊かなクラスメイト達が多数。
この子たちは全員クラスメイトで、全員同じ寮に暮らし、同じ釜の飯を食いながら、舞台の中心で最高に輝く「トップスタァ」を目指して切磋琢磨しつつ、歌唱・舞踊・武芸・演技・演劇史や演技論を学んでいます。スポコンものっぽいでしょ?
それぞれの関係性も、ルームメイト、幼馴染、敵視しあうライバル、師弟関係……と様々。その辺の関係性も魅力のひとつ……というかスタァライト好きな人はだいたいキャラクター同士の絡みに注目していると思いますが、ここではそれは割愛。
そんな彼女たちには、3年間の学園生活を通して触れる重要な作品があります。その名も『スタァライト』。
この学園の伝統として、1年に1度行われる学園祭で3年にわたって同じ演目を上演し、理解を深めつつ舞台をアップグレードしていく、というものがあります。
華恋たちの代でその演目に選ばれたのが、『スタァライト』という戯曲。作者不詳ながら古くから愛されている名作であり、同時に、幼い頃の愛城華恋が舞台女優を目指すきっかけにもなった、因縁深い作品なのです。
ここで謎がひとつ解けましたね。
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』というタイトルの一部は、この架空の戯曲のことを指しています。作中でその全容が明かされることはついぞありませんが、いちいち象徴的に引用される作品です。実態がないのに引用とはこれ如何に。きっと民明書房刊なのでしょう。
昨年の、第1回の『スタァライト』公演でダブル主演を勝ち取ったのは、学年主席の天堂真矢と、学年次席の西條クロディーヌ。周囲からも文句なしに天才と目されるふたりです。この二人にはかなわないよなあ~と、ちょっとあきらめムードを漂わせる華恋。
主人公らしからぬ克己心のなさ。あこがれていた舞台なのに、ちょっとモチベーションも下がり気味。そんな感じの日々を送っていたのですが……そこに、喝を入れるかのように、突然「転入生」がやってきます。アニメっぽいお約束展開!
彼女の名は「神楽ひかり」。
華恋の幼馴染であり、彼女を舞台の世界に引き込んだ張本人です。5歳のころに突然ロンドンに引っ越して以来、ほとんど連絡を取り合っていなかった彼女が、突然華恋のクラスに転入してきたことで、ようやく物語が進みだします。
演劇の街・ロンドンの、世界有数の演劇学校で学んでいたひかりの才能は圧倒的で、クラスメイト達は一気に彼女の存在を意識するようになります。
ところが、死ぬほど久しぶりの再会だというのに、どこか華恋に対して冷たい態度をとるひかり。でも、ふたりの仲は険悪にはなりません。
5歳のころに、2人で一緒に見に行った舞台『スタァライト』。その時、華恋とひかりはある「約束」をしたのです。
「行こう、あの舞台へ。輝くスタァに、ふたりで」
華恋が聖翔音楽学園を目指し、合格したのも、この約束があってこそ。そしてそれは、遠く離れたロンドンでもずっと舞台を目指し続けてきたひかりも一緒でした。
連絡を取り合っていなくても、冷たい態度を取られても、お互いにその約束を忘れず、トップスタァを目指して、それぞれ邁進し続けていたふたり。ちゃんと理解しあっている……そう思っていた時期がありました。
衝撃的な再会を果たした、その日の夕方。華恋はふと、寮から駆け出してどこかへと向かうひかりの姿を目にします。彼女の行く先は学校。もう放課後なのに? 夕陽に染まる校舎の中で華恋は、ふと見覚えのないエレベーターを見つけます。戯れにスイッチを押すと、その先には……
NERV本部みてーな地下空間が!
いちおう言っておくとこれが普通の世界じゃありません。おかしいです。真ん中に東京タワーが立ってます。つまり深さは333メートル。おかしいのよ。ジオフロントだこれー!?
わけも分からず地下劇場の客席にすとんと落とされた華恋。
舞台中央のセットに向けられるスポットライト。その中心には……!
きらびやかな衣装に身を包んだひかりと、学級委員長の純那ちゃんの姿が。そして彼女たちは互いに武器を手に、舞台狭しと飛び回り、お互いに本気で攻撃しあいます。
かたや短剣を手に、純那の喉笛を掻き切らんと襲い掛かるひかり。
かたや頭を狙って矢を放ち、本気で相手を殺そうとでもするような純那。
舞台らしからぬ本気の殺し合い……にも見えるふたりを目の当たりにし、華恋はいてもたってもいられず客席から「やめて!」と叫びます。しかし、そんな華恋を「わかります……」と頷きながら見守る存在。それが……
「キリン――――!?」
そうキリンである。首のなが~いあのキリン。長いまつげと緑のお目目で、めっちゃええ声でしゃべる。口は動いてないけどしゃべる。津田健次郎の声でしゃべる。みんなついてきてる? これまだアニメ1話のあらすじよ?
キリンは言います。これは『レヴュー(REVUE)』だと。
「歌とダンスが織りなす、魅惑の舞台。もっともキラめいたレヴューを見せてくれた方には、『トップスタァ』への道が開かれるでしょう」
歌を歌いながら、美しく踊りながら、激しい戦いを繰り広げるひかりと純那。思わず見とれてしまいそうになりながらも、追い詰められるひかりを前に気が気ではない。観客席から必死にひかりの名を呼ぶ華恋に、キリンは冷たく言い放ちます。
朝も一人じゃ起きられない。「主役になれなくてもいい」。そんな方は、およびではありません、と。
しかし、華恋はなんと観客席から舞台に飛び込むという、舞台監督が見たら卒倒しそうな行為をやらかします。おい死ぬぞ! それをやっていいのは『ゾンビランドサガ』1話の源さくらだけだ。あいつはもう死んでたからできたんだ。
しかし華恋はすでに覚悟を決めていたのでした。死ぬ覚悟をじゃねえぞ。いやある意味死ぬ覚悟なんだけど。
「約束したんだから、ひかりちゃんと! 私は、ううん――私たちは、絶対、一緒にスタァになるって!」
ア タ シ 再 生 産
この辺は映像の暴力なので文字で読まずすぐにYouTubeでチェックしてください。
かくして舞台に文字通り飛び入り参加し、ひかりのピンチを救った華恋。
こうして物語は始まったのです。
こうしてってなんだ!? どうしてだ!? なにこれ!?
アニメ第1話はここで終わり。1話かよ!?
こんなに情報量の多いアニメ第1話は、『機動戦艦ナデシコ』か『キルラキル』以来といったところ。ちょっと気になったでしょ? すぐYouTubeで見てこい。でもコメント欄は見るなよ、ネタバレばっかりだから。そんなこんなでアニメ版スタァライトは始まったのでした。どんなこんなだよ。今ちょっと読み返しても文章量の長さに引く。
ざっくばらんに言いましょう。
今紹介した9人のキャラクターは、全員がこのキリンの主催する(←意味不明)レヴューオーディションに参加し、オーディションのたびに別々の相手と、別々の舞台セットで、それぞれのレヴューを演じます。そして、オーディションで最もキラめいた舞台少女であると認められれば、トップスタァへの道が開かれ、望んだとおりのどんな舞台にでも立つことができるのです。
誰もがみなトップスタァを目指して、人生をかけて死ぬほど努力してきた舞台少女たち。このチャンスに飛びつかない手はありません。彼女たちはいつも通りの日常を送りながらも、夜な夜なこの地下劇場で鎬を削りあう――これが大まかなあらすじです。
『トップスタァを目指して、歌って、踊って――奪い合いましょう』
①-3 レヴュースタァライトのざっくりとした魅力
さて、さっきまでのあらすじ解説に、ちょっとおかしなところがありましたよね。全部おかしいけどひとまずそれは放っておいてさ。
……、
『アタシ再生産』ってなに!?
突然画面が真っ赤になって、妙な変身シーンが流れる。何見せられてるんだ、っていう気になる。世が世なら子どもによくない影響を与えるといわれかねないポリゴンショックばりの衝撃的な映像です。
ところが勘のいい皆さんなら、どこかで似たようなものを見たことがあるんじゃないだろうか。
10年位前に。
もしくは25年位前に。
そうこれである。
言わずと知れた『輪るピングドラム』と『少女革命ウテナ』。Bパートの途中で唐突に挿入される、なんか変身シーンみたいなの。なんか共通点っぽくね?
このふたつの作品を監督したのは幾原邦彦さん。セーラームーンのアニメであまりに好き勝手やらかして原作者をちょっと怒らせたり、最近は改名するしないとかバンド組む組まないとかでちょっと炎上した、あの渚カヲルのモデルになったという説もあるものすごい人である(小並感)。確かに写真見るとちょっと色っぽいのよ。詳しくは調べてね。
ごくごく端的に誤解を恐れずざっくりいうと、レヴュースタァライトは「イクニっぽさ」を感じる作風です。それもそのはず、アニメ版『レヴュースタァライト』の監督を務めた古川知宏さんは、幾原邦彦監督作品でたびたび演出・原画・脚本などを手掛け、イクニ作品の中では比較的新しい『ユリ熊嵐』では副監督、つまり幾原邦彦の右腕として辣腕を振るってきた男。
一部では「幾原邦彦の直弟子」とも称されていますが真偽のほどは不明。
ともかく、彼とずっと仕事を共にしてきた古川さんの初監督作品ともなれば、どこかイクニのエッセンスがあってもおかしくはないところ。むしろビンビンにエッセンスを感じる。見る人が見れば「ウテナっぽい」「ピンドラっぽい」とすぐにピンとくるだろう。レヴューにいちいち「○○のレヴュー」って名前つけちゃうところとか、もろウテナの決闘シーンじゃん。
「ウテナが好きならレヴュースタァライトも好きだよ!」とオタクが熱心に薦めるゆえんがここにあります。
このレヴュースタァライトの魅力のひとつは、キャラクターたちが繰り広げる個性豊かな「レヴュー」と、「アタシ再生産」の変身バンクにもその片鱗を見出すことができる、個性的かつ迫力満点でかつ唐突、どこかファンタジックな演出の数々。
ここで久しぶりに辞書を引いてみましょう。広辞苑によれば「レヴューrevue」とは、「踊りと歌とを中心に寸劇を織り込み、豪華な装置を伴うショー」。うーん、まさにクソデカ舞台装置に囲まれて、ちょっとダイアローグも織り交ぜつつ、歌って踊る――これはどっからどう見てもレヴュー。普通だな!
この作品はストーリーもさることながら、頭じゃなくて視覚・聴覚で全力で楽しめるように作られているということです。キャラクターの背景とか、親がどうとか生まれがどうとか才能が努力が~とかそんなものはどうだっていい。いや良くないんだがともかくいい。いったん置いておこう。その結果、どういう歌が生まれ、どういう演技をするのか。それが大事なんです。だから『レヴュースタァライト』を見る人間はストーリーなんてかけらも理解できなくたっていい。そんな人間がいるなら会ってみたいもんだが……ともかく、ただ目の前に叩きつけられる映像と耳に入り込んでくる歌と台詞を聞き流すだけでも、この作品は十分に楽しめます。
これは劇場版の魅力にもつながるポイントなので要チェックだゾ☆
この『レヴュー』っていうバトルは非常に概念的で、よりキラめいている舞台少女に呼応して照明やセットが勝手に配置されたり、動き出したりする、という設定なんですね。固有結界みたいなものです。キラめきの貯蔵は十分か?
だからそれぞれの舞台少女の個性が思いっきり前面に出た変な舞台になりがち。マネキンがたくさんいたり、めっちゃ高いところにいたり、リアル野球BANだったり。この辺のちょっとおかしな、頭悪い言い方するとアバンギャルドな演出がやっぱりオタクは好きなんですよ。刺さる刺さる。
そしてもう一つ、「歌」。これも超大事。当然アニメなのでみんな台詞を言っているわけですが、バックでずっとキャラクターたちが歌うレヴューソングが流れています。時々、そのBGMとシンクロするようにキャラクターたちも歌いだします。
このレヴューソングの数々も非常に魅力的。作曲や編曲は、キャラクターごとに様々な方が担当していて、それぞれの個性が色濃くにじみ出ます。
そして作詞を一貫して行っているのが、中村彼方さん。『レヴュースタァライト』というコンテンツの楽曲ほとんどすべての作詞を担当するだけでなく、作中でたびたび引用される架空の戯曲『スタァライト』の執筆、そしてフランス語監修までやっちゃうちょっとすごい人。
ミュージカルソングらしく、力強い台詞のような歌詞の数々。でも、画面のキャラクターたちは自分たちが歌っているはずのレヴューソングをBGMにして、台詞をぶつけ合って掛け合いをする。
ちょうど2022年6月にタイミングよく出版された『ミュージカルの歴史―なぜ突然歌いだすのか』(宮本直美著、中公新書)という狙いすましたかのようなタイトルの新書。
という演出テクがあるそうで、これは舞台だけでなく映像の世界でもよく知られた手法なんだとか。
確かにレヴュースタァライトの舞台セットも、目まぐるしく変わり、時に破壊され、不可逆性の場面転換がしばしば入ります。こんなん舞台監督の胃が持たねえぞ! それに合わせてキャラクターたちの掛け合いには熱が入っていき、その心情も変化していきます。そういった波のある目まぐるしい変化の続く映像に、一本背骨として何かを通す必要がある。それがレヴューソング、すなわち歌。アクションと回想が入り乱れ、時系列がぐちゃぐちゃになっていても、レヴューソングはノンストップでずっと流れ続けます。
台詞でもバチバチにバトってるのに、その背後で流れてるレヴューソングでもバチクソにぶつかり合ってる! 戦いの裏で戦いが起こってる!だからヤバいの。感情の逃げ場がない。
こればっかりは文字では伝えられない魅力なので、アマゾンミュージックとかでぜひ一度聞いてみろ(命令形)。
ちなみに前述の新書、『劇ス』公開からちょうど1年という狙いすましたかのようなタイミングで出版されたのに、レヴュースタァライトとか『かげきしょうじょ!!』などの、ミュージカルをテーマにしたアニメについてはほとんど触れられていなかった。そんなー。
あと魅力といえば……まあキャラクターの魅力については語るべくもない。みんな顔がいい。声もいい。歌も上手いし台詞が力強い。以上。
各カップリング(特定のキャラクター同士の関係性を言い表す言葉)についても同様である。みんな尊い。以上である。
なぜここで語らないかといえば……そんなものは語るまでもないからである。より突っ込んで言うと、そんなものを知らなくても『劇ス』は楽しめる。
もちろんキャラクターのバックボーンや設定、その人となりを知っていた方が、よりコンテンツを楽しめるだろう。それは否定しない。むしろ正道。普通。
しかし『劇ス』に関しては、あえて何も知らない状態で飛び込むのもまた正しい選択なのである。とついさっき思った。というか、「じゃあまずはテレビ版見て~、ミュージカルも見て~、それから~」とかそんなまどろっこしいことするくらいならとっとと劇場版を見てほしい。そんなのは後からいくらでも取り返しが効くから。いいから観ろ! ということを言いたいのである。
とまあ、ここまでがざっくりとしたレヴュースタァライトの概要です。みんなわかったかな? わからない? わかります……よくキリンの絵文字と一緒に「わかります」って呟きがちなのはみんなスタァライトされた人です。見分けよう。分かんなかったらとりあえずYouTubeで1話見ておいで。
②『劇場版』への道のり
さて第2章。長かった割に実はアニメ第1話のことしか書いてない第1章を抜けて、いよいよ『劇ス』――劇場版へいたる道のりを進んでいきましょう。
②-1 『少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド』
怒涛のごときアニメ放送が終了した、2018年9月から、約2年の歳月を経て……奴は帰ってきたのです。
それがこの、『ロンド・ロンド・ロンド』、通称『ロロロ』。伏字になってるわけじゃありませんよ、「ろろろ」です。2020年8月に劇場公開されたアニメーション映画。
いわゆる『総集編』です。アニメ12話ぶんの内容を、ぎゅっと2時間に凝縮してみんなにぶつけちゃおうぜ! というわがままで欲張りな企画。しかし、それでもただでは転ばないのがレヴュースタァライト。
ロンド――すなわち「輪舞曲」。跡部様がいつも言ってるあれです。
また辞書を引いてみましょう。ものの本(広辞苑)によると「ロンドrondo」とは、「器楽形式の一種。主題が同じ調で繰り返される間に異なる楽想の副主題が挿入される」。意味深だろう?
つまり単なる総集編ではありません。「異なる楽想の副主題」が挿入されています。いちおうネタバレなので注意してね。
この映画の主役は、愛城華恋ではありません。この子です。
「大場なな」。「おおば」じゃなくて「だいば」です。
さっきのキャラ紹介でちらっと出てきたこの子。中学では一応演劇部に入っていたけれど、部員は自分ひとりだけ、まともに上演すらしたこともないのに、その天性の才覚と努力によって超名門である聖翔音楽学園へぬるりと入学したちょっとヤバい子です。例えていうなら中学まで舞台に立った経験もないのに実質ノー勉で宝塚に受かったみたいな子です。すごいとかいう次元じゃない。
周りを見れば、俳優一家の天才、元天才子役、日本舞踊の家元、ロンドンからの留学生、全国レベルの特技の持ち主……そんな人ばかり。そんな中でも何故かこの子はちょっと抜きんでています。身長だけじゃないぞ。設定上170センチ以上あるらしいです。でっか。あと本当に顔がいい。
『ロロロ』は、アニメ版12話の物語を、この大場ななの視点から再構成したものになります。
なんでこの子が? 愛城華恋や、神楽ひかりじゃないの? と思うかもしれません。この辺はもう、ちょっと興味を持ってくれた人が調べちゃったらすぐ分かってしまうことなので、ここでも遠慮せず言います。ネタバレが嫌な人は「ネタバレ厳禁!」とかわがまま言ってないでとっとと見てこい。
実は彼女こそレヴューオーディションの優勝者。並み居る天才たちを蹴落とし、学年主席の天堂真矢にすら土をつけた、最強の舞台少女なのです。おっと、これはテレビ版がバッドエンドだって話じゃないぜ。安心してちょっと聞いてくれ。
さっき言いましたね、トップスタァになったら「望んだどんな舞台にも立てる」と。では、ななは何を望んだのか?
「第99回聖翔祭――『スタァライト』の再演」
かいつまんで要点だけ言うと、この子はタイムリープをずっと繰り返しているんです。時をかける少女・大場ななというわけさ。
1年生の時にみんなで演じた、未熟で粗削りだけど、本当に楽しかった最初の『スタァライト』。ずっとひとりだけで孤独に才能を磨いてきたななにとっては、何物にも代えがたいキラめく日々。それを自分の運命の舞台に選んだ。
ふと気がつくとなながいたのは、1年生のころの自分の教室。
そこで彼女は2度目の最初の1年間を過ごし、2度目の最初の『スタァライト』を演じ、またオーディションに勝ち残り、最初の1年間の「再演」を選び、また新しい最初の1年間を過ごし……という1年間のループを延々と繰り返している。
ループしている間のことを覚えているのは自分ひとりだけ……おっと、いつから『魔法少女まどか☆マギカ』の話になったんだ?
スタァライトのオタクは全員この子が大好きです。だって、スタァライトのオタクたちも、何度も同じ映画見て、何度も「再演」しているから。
最初にみんなで作ったあの舞台が大好きだから。何度繰り返しても、まぶしいから。だから何度でも繰り返して何度でも体験する。同じ舞台を何度も何度も。
つまり俺たちが大場ななだ。
ところが、そんな彼女の幸せな『再演』の日々に、わずかにほころびが生じます。それが「神楽ひかりの転入」。つまりアニメ第1話です。これまでのループには発生しえなかった出来事。変わらないはずだった再演に、予期せぬ新たなキャストが加わったのです。
ひかりと再会したことで、愛城華恋の心に火が付き、華恋だけでなく、その周囲の人たちも徐々に変わっていきます。ななの再演はもうめちゃくちゃ。さらに、ひかりや華恋にレヴューで負けたことで、オーディションの優勝の可能性が消える……つまりタイムリープが止まります。
同じ時間をずっと繰り返すだけじゃ、進化できない。変わっていくのは怖いけれど、少しずつ進歩して、新しい舞台を見つけよう――こうして大場ななの再演が途切れたのでした。
「大場ななは次の舞台に進もうとしているのにお前らときたら」とはよくスタァライトのオタクが投げるブーメランです。
何度も何度もタイムリープして、何度も何度も華恋たちのことを見守ってきた大場ななの視点から、改めてアニメ版の物語を見直そうじゃないか。『ロロロ』はそういう作品です。
2時間しかないので、「アニメ12話も一気に見る気力ないよ~……」という人は、いきなり『ロロロ』をざらっとみてストーリーをさらうのもおススメ。ただし冒頭からネタバレだらけなのでそこは覚悟するように。後戻りはできないぞ。まあこの記事を読んでる時点ですでにネタバレなんですけど。
前置き長くなっちゃった。大場なな、みんな好きだからね。
そんな彼女の視点から再構築された『ロロロ』は、テレビアニメとはちょっとずつ違います。台詞もあちこちで新録、レヴューソングもアレンジが加わって一風変わった雰囲気に。そして新規カットがいくつも入って、「これはただのアニメの復習ではないな……?」と思わせる出来でした。
そして、最後の最後にブッ込んでくれたのですよ。
それが、『続劇』の2文字。
アニメ12話で、バッチリきれいに終わったと思った物語の続きが始まる!? なんてこったい。そりゃあみんなざわついたことでしょう。
単なる総集編じゃないな? と思ってたら、まさか続くとはね~。これには大場ななもびっくりだ。こうして、劇場版へと物語は続くのです。
つまり時系列で言うと、
となるわけです。単純に時系列順に楽しみたい人なら、アニメ→ロロロ→劇スと見るのがおすすめ。まあここまで見た時点で最大のネタバレを食らってる頃だと思いますが。
②-2 『劇場版』の公開
そして時は流れ2021年6月。コロナの蔓延などで延期やリスケに悩まされつつも、とうとうこの日がやってきたのです……
『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』公開!
とうとうやってきました。
実は僕がレヴュースタァライトを知ったのも、ちょうどこの頃。ツイッターで知り合いが「スタァライトの映画がヤバい」「頭から離れない」などと不穏なことばかり言っていて、ちょっと怖くなったのを覚えています。当時の僕は、「スタァライト……? なんか西武線の車内広告で見たような……」くらいの認識だったのです。ブシロードは西武線とコラボしがち。
で、最近のアニメっていうのは親切で、「映画やるからまずはこれ見て予習復習しっかりしろオラァ!」って、YouTubeで全話無料公開とかやってくれるんですよ。とあるフォロワーに「ぜひ見たまえ」と言われ、う~ん……そこまで言うなら……と、アニメ12話を一気見したんです。
意外かもしれんが、この時の僕の感想は「面白いけど……」でした。
確かに演出はカッコいい。笑えるところもある。話もわりときれいにまとめてる。戦闘シーンの作画はいい。歌もいい。キャラクターも魅力的。でもそれだけだ……というのが正直な第一印象でした。こんなに面白そうなのに、イマイチはまれないのはなんでだろう……? と、自分でも不思議になるくらい。
原因を自己分析しました。このアニメ、ようはAパートで各キャラクターごとのモヤモヤした感情やわだかまり、あるいは決意みたいなものがあって、Bパートのレヴューシーンでそれを発散する……っていうのが大まかなテンプレなんですね。確かにレヴューシーンの作画はすごいよ。曲もいい。みんな美少女だ。でも、それが終わった途端に、しゅん……としてしまうんですよ。つまり尺が短すぎる。せっかく盛り上がってきたっていうのに、それが持続しないんですよね。ぶつっぶつっと、途切れ途切れな感じになってしまう。爽快感がないんですよね。
「うーん……このまひるって子はかわいいけどなぁ」などとイマイチはまれない作品にも自然に推しキャラを見つけてしまう悲しきオタクの性。この子かわいいんだ……道民だし。
そんなわけでアニメ12話を見ている間にも、フォロワー諸兄は劇場版に狂いまくってるわけです。「本当にヤバい」「とにかく見ろ」とか、どこかの誰かが言っているようなことばかり呟いているわけです。頭おかしいのか?
しかし僕はノリの分かる人間。「そ、そこまで言うなら……1回くらい見ようかな。でもアニメ1回ざらっと流し見したくらいだぞ? 大丈夫……?」と、休みの日を狙って新宿バルト9へと赴いたのです。今でも覚えている……ツイッターを開いてちょっと調べてみれば、「見る違法薬物」「劇薬」「女と女のクソデカ感情のぶつかり合い」「女子高生がルームメイトに短刀を差し出し切腹を強要する」「清水寺でキャバクラでデコトラ」「超デカいスクリーンで超デカいスピーカー使ってひたすら女と女がイチャイチャしてるのを見せつけられる」「マッドマックス怒りのデスロード」等々……嘘か本当かわからない情報ばかり、それはまるで『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開当初の「綾波がプラグスーツで田植えする」レベルの錯綜っぷり。そんな得体のしれない映画をひとりで見に行ったわけですよ。ビビっちまって……怖い……って怯えている25歳の男がそこにはいたわけですよ。
で、いよいよ映画始まるじゃないですか。
見るじゃないですか。
観劇後の感想は、「いや~……すごいものを見た」。
「なんか、とにかくすごい……うん、とにかくすごかったなあ……」としかつぶやくことのできない、廃人と化した男がそこにはいたんです。
それはまるで会長との初夜について、「一応、感想聞いてもいいですか……どうでした?」と早坂に聞かれた後の四宮かぐやのような感情。
これ超大事です。劇スを始めてみた人間の感想としてもっともポピュラーなのは、「なんかすごかった」です。え? 何それ? と思ったそこのキミ、逆に考えてくれ、それくらいの軽い気持ちで見ていいんだ。「なんかすごいものを見たなぁ~」という気持ちが残ればそれでいい。
僕の感覚で言えば、『劇ス』を観たあとの感覚に一番近い映画は『プロメア』です。
これもまたすごい映画なんですよ。120分くらい使って松山ケンイチと早乙女太一と堺雅人が叫びまくり燃えまくりドリルしまくりの熱さしかない名作なんです。『プロメア』を観たあとも、「いや~よく燃えたなァ~」と、どこか熱に浮かされたような気分になるものです。
これにすごく近い。『プロメア』にハマれる人は十中八九『劇ス』にもハマれます。というわけで観てこい。
もちろん『劇ス』もただ熱いだけの映画じゃなくて、さっきも言った『イクニっぽさ」がよりますます感じられます。メタっぽい描写や台詞、象徴的なアイテムとして登場する東京タワー、意味深で唐突なカットの挿入などなど……
けれど、「このシーンはこういう意図があって~」とか、「あのセリフは実はこういう意味で~」とか、「東京タワーはこれのメタファーで~」とか、そんなしゃらくせえことは後からいくらでも考えればいい。というか初見で観ているときに考えられるもんなら考えてみろ、断言するがそんな余裕はない。それができるやつは変態である。
そしてこれも断言するが、この映画を見て「つまらなかった」という感想を抱くヤツは、100人に1人くらいしかいない。
「訳わかんなかった」「意味が分からなかった」と思う人はたぶん100人中97人くらいはいる。というかそれが普通だ。というわけで残りの3人は人間やめてるやつだ。星に帰れ。そしてさっき僕がツイッターで見た綾波田植えレベルの情報が全部間違いじゃなかったことを知る。全部本当だったんだよ。逆に怖いだろう?
「意味が分からないのに、なぜか面白い」。
それが『劇ス』の魔力である。
②-3 『劇場版』のあらすじ
ではいよいよ、そこまで人間を狂わせる『劇場版』の中身について触れていこう。もちろんネタバレしないようにできるだけ配慮するぞ。
とりあえず公式サイトに載っているあらすじを引用してみます。
どうだ、なんて分かりやすいワケのわかんねえあらすじだ!?
でも大丈夫。それを解説するために僕がいるのです。
あらすじの下の方に書いてありますが、『劇場版』の時系列は、華恋たちが高校3年生になった年の5月。テレビアニメ第1話の、ちょうど1年後に当たります。
卒業を間近に控えた彼女たちの頭を、良くも悪くも悩ませるもの――すなわち「進路」。
迷わず有名劇団入りを志望するもの。
実力は及ばずとも、高みを目指すもの。
スカウトを受けて引き抜かれるもの。
家元を継ぐもの。
はたまた――舞台から少しだけ離れ、進学を目指すもの。
「舞台」という、良くも悪くも浮世離れした場所に身を置いていた彼女たちにとって、どんな進路を選ぶかは人生そのものを変えかねない重大な決断。みんなあれこれ悩んでいたり、はたまた、迷わずに目標に向かって邁進したり……と、そのスタンスも様々。
そんな中で、最も進路に悩んでいるのは、我らが愛城華恋です。
ひかりと再会し、同じ舞台に立ったことで、幼少期からの夢をある意味で叶えてしまった華恋。しかしそれは同時に、自分が舞台に立ち続けるという意味を、失ってしまうということでもあったのです。夢かなえちゃったわけだから。真っ白に燃え尽きちまってるわけです。
これまで、良くも悪くも周囲のみんなをひっかきまわし、物語を牽引してきた愛城華恋が、進むべき道を見失ってしまった。どうする愛城華恋!?
ざっくりいうと劇場版はこういう話です。
さて、この映画は初見さんにも分かるように、タイトル後、最初の場面で、各キャラクターが名乗りを入れてくれるシーンが順番に挿入されています。
それは、担任の先生と一対一で、それぞれの進路についての個人面談という体で行われます。画面にばーんとキャラクターのいい顔が映り、「出席番号○○番の××××です」と丁寧に名乗ってくれるのです。なんて親切な配慮なんだ! しかし単なる顔見世にとどまらないもう一つの効果があるのです。
映画でも演劇でも、最初の5分で「この映画(舞台)は、いったい何をする話なのか?」というのを観客に提示しなければならない、という脚本術の基礎の基礎があります。実はこの『劇ス』もその作法に則り作られているのです。
みんなが「わけわかんねえ」「なんだこれ」と騒いでいる『劇ス』は、いったいどういう映画なのか? いったい何をする映画なのか? というのも、映画の冒頭でちゃんと明示してくれているわけです。
つまりこの映画って『進路相談会』なんですね。
みんなでわいわい相談しながら、進路決めようぜ! っていう話なんです。
「お前の進路、いいじゃん! 応援するよ!」
「もっと上目指したらいいんじゃないの?」
「一緒の大学受けようって言ったじゃ~ん!」
「や、私の進路だから。アンタに口出される筋合いないから」
「私はもう進路決めたけどあなたは決めてないんだ?」
「まだ在校生のうちに、卒業する前に、やっておきたいことがある」
というのを2時間かけてやるんです。なんてつまらなそうな映画なんだ。でも本当にそうなんだから仕方ない。
さて、みんながほのぼの進路について語っているときに、その和気藹々JKトークに水を差す女がひとり。いったい何場なななんだ……!?
そんなのこの女しかいねえ。大場ななです。
ざっくり言うと、この子はとあるキャラクターのとある一言がきっかけでブチ切れて、和気藹々と腑抜けたことばかり言っているみんなを皆殺しにします。そして、唯一生き残った愛城華恋を砂漠のど真ん中に放り出し、何食わぬ顔でみんなの所に戻ってきます。何を言っているのかわからねーと思うが嘘は言ってない。
かくいう大場ななも進路に対して大きな悩みを持っている一人。
前述のとおりほぼノー勉で超難関校に合格しているのにもかかわらず、身体は大きい、声もいい、顔もいい、演技も上手い、ダンスもできる、料理も上手、それに加えてこの子は裏方の仕事もできちゃうんです。表の舞台に立つべきか、裏から舞台を創るべきか。そんな贅沢な悩みがあっていいんですか? まじでこいつ何者だよ。
かつて延々と、同じ一年間の『再演』を繰り返していた自分とは決別して、新しい自分の道を見つけようともがいている……そんな彼女だからこそ許せない一言があったのです。詳しくは自分の目で確かみてみろ!
そして、この大場ななの引き起こした大量虐殺シーンから、物語は、さながら電車のように一気に加速していくのです。
題して「ワイルドスクリーンバロック(wi(l)d-screen baroque)」。意味なんて分からなくていいぞ。
これは「ワイドスクリーンバロック」と「ワイルド」という言葉をもじったこの映画独自の造語。この映画全体を貫くキーワードでもあり、この映画の劇中劇のタイトルでもあり、同時に、この映画のオープニングアクトで流れる劇中歌のタイトルでもあります。
では「ワイドスクリーンバロック」とはなにか?
これはとあるSF小説のジャンルを言い表した言葉です。チャールズ・L・ハーネスという作家の『パラドックス・メン』というSF小説をさして、新たに造語されたジャンル名です。つまり造語をもじって造語を作っているわけですね。もう何が何やら
この人の書いたこの小説は、こういう話なんですよ~というのを説明するために新しいジャンルを作ってしまったのだ。こういうところはSFあるあるである。すぐに○○パンクって言いだすし。
ともかく、こういう話のSF小説をさして「ワイドスクリーンバロック」と呼ぶのです。そして『劇ス』はこれをさらにもじった言葉をテーマに掲げているわけです。引用しながら思ったけどだいたいあってる。
そして、そこにもう一つ付け加えられるのが「ワイルド」。野生、とかざっくりいうとそういう意味ですね。例によって辞書を引いてみましょう。
リーダース英和辞典によると、上から順番にこういう意味があるそうです。「野生の」「人の住まない荒れ果てた」「激しい、荒い、騒々しい」「乱暴な、無法な、手に負えない」「激しい、気違いじみた、狂ったような、熱狂した」「すごい、素晴らしい」「突飛な、無謀な」……
うーん……だいたいあってる。いやほんとうに。
②-4 『劇場版』のレヴュー
さて、大まかなストーリーはこんな感じ。ほんとか!? と思ったあなた、騙されたと思って一度引き返して見てこい。合ってっから。
ともあれ、これだけじゃただの『バトル・ロワイヤル』です。それだけだったらみんなここまで騒がないよ。
思い出してください。
この作品のタイトル――劇ス劇スって略してるけど、何だったっけ?
『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』でしょう? つまり、アニメ版でさんざん魅力を語りつくしたレヴューの数々が、劇場版でももちろん登場します。
劇場版のレヴューは、あらゆる面がパワーアップ!
映像もクソデカ、音響もクソデカ、感情もクソデカ。レヴュー曲は軒並みフル尺で8分越えが当たり前! もう何かとにかくすごい! ほらまた語彙が枯れてきた。でも本当にすごいのよ。マジで。
というか劇スを見る意味の7割くらいは、このレヴューの数々を見るためと言っても過言ではない。最初に言った通りストーリーなんてどーでもいいのだ。だって結局やってることは進路相談会なんだからさ。他人の進路そこまで興味ある? ないでしょ? いやどーでもよくはないんだけどさ。ひとまずどーでもいいと置こう。
まあ、なんというか……これは言葉をいくら尽くしても説明ができない。残念ながら、勇んで書き始めたはいいものの、僕の力では魅力を伝えることはできないのだ。だって、観て、聴いて、感じるものなんだから。
ひとつ紹介しておこう。スタァライトが好きな人たちは、よく劇スを「浴びる」と表現する。観る、でも、感じる、でもなく、浴びる、と。この言葉は非常に言いえて妙で、まさしく劇スは「浴びるもの」なのである。
どういうことか?
諸兄は一般的に「浴びるもの」と言ったら何を連想するだろう。シャワー? 太陽? 喝采? うんうん、他にもいろいろあるだろう。何か一つ、浴びるものを想像してほしい。
それは、一つのものではないだろう。何かが大量に集まっているものか、あるいは、そもそも実体がないものではないだろうか。例えば風呂場のシャワーヘッドなんかわかりやすい。細かい水の粒が大量に出てきて、身体にぶつかる様子を「浴びる」というだろう。
さてここでまた想像してみてほしい。
例えばシャワーを出してから浴び終わるまでに、それぞれの水の粒の形が分かるだろうか? 粒が何個出て、何個自分の体にぶつかったか分かるだろうか? もしキミが「分かるよ」っていうんだったらもう教えることは何もないよ。
でもたいていの人はそんなこと気にしないだろう。シャワーはシャワーなんだから。水が出ればそれでいい。
日光浴もそうだ。この日光の明るさは~とか、紫外線の量は~とか、そんなことを気にしながら日光浴をする奴はいない。いやいるかもしれんが。
喝采もそうだ。例えば1000人の観客に一斉に拍手されているときに「あいつ拍手してねえな」「あいつの拍手やる気ねえな」といちいち気にするだろうか? ゴメンこれは気にするかもしれん。じゃあ母数を増やして1万人なら? 10万人なら? 情報量が多ければ多いほど、細かいところには意識が向かなくなるものあろう。
『劇ス』とはそういうものなのだ。
まあ一言でいえば、「こまけえことぁいいんだよ!」ということである。
シャワーの水の粒の数が分からなくてもシャワーを浴びれば気持ちいいのである。劇スも同じようなものだと考えてください。分かんない? よーしじゃあ実際に浴びてみよう! そうしたら分かるぞ。
つまり、ストーリーだの、進路だの、キャラクターだの、そんなことは二の次三の次四の次五の次である。どこまで下がるんだ。でももっと下がっていい。五十三次くらいまで下がっていい。
ともかく、「目の前の映像と音楽に身をゆだねる」こと。それが『劇ス』を浴びる、ということである。たったそれだけで、何故か感情が揺さぶられる。キャラクターたちの歌と台詞にぐいと体が引き込まれる。まだキャラクターの名前もうろおぼえだし、誰と誰が仲良くてとかそんなこと覚えてなくても、何故か目の前の舞台少女たちの感情に共感できてしまう。彼女たちの感情が揺さぶられると、こっちまで揺さぶられる。彼女たちのカタルシスが、すなわちこちらにまで伝播する。そうなってしまうのだ。怖ろしいよね。舞台少女たちが何を言ってるかわからないのに、何を言っているかがわかるんだ。これを魔力と呼ばずして何と呼ぶのか。
そして驚くなかれ、この映画は「なにも考えずにボケーっと、ただ目の前の映像を観る、流れてくる音楽を聴く」という、それだけで十二分に楽しめる、贅沢(ラグジュアリー)で上等(ハイ・クラス)な体験を与えてくれるのだ! そんな映画があるんですか!?
少し話はそれるが、僕の友人に、年に100本くらい映画を見る人がいる。
普段はアニメをほとんど見ないのだが、僕が「ぜひ見てください!」と激プッシュしたのもあって彼は『劇ス』を観てきた。彼はこの映画を、「映画館で見てよかった。映画館でしか味わえないアトラクションだった」と言っていた。
うまいことを言うなあ~と思ったものです。そう、この映画はアトラクションなのだ。USJなのである。
例えばスパイダーマンのことを知らなくても、ハリーポッターのストーリーが分からなくても、USJのスパイダーマンやハリーポッターのアトラクションは乗ったらとりあえず楽しいのだ。もちろん知っていたら、知らないでいるより何倍も楽しいのだろう。それと一緒である。
『劇ス』は、何も分かっていなくても、観たらとりあえず楽しいのです。
しかしあらすじで言っている通り、これは非常に危険である。
意味が分からなくても、とにかくド派手な音とキラキラな映像で精神に訴えかけ、頭の中をぐっちゃぐちゃにしておきながら、レヴューが終わるたびに「なんだかすごいものを見た……!」という気持ちよさだけが残る。これってもう薬物とか洗脳の快楽である。「意味は分からんけどとりあえず楽しいヒャッホイ!」という感覚。これはすなわちヤベー奴である。
すまんな、これを書いているのはヤベー奴なんだ。でも、あのフィリップ・K・ディックだって、ヤクでラリってるときのビジョンをもとに『ヴァリス』を書いたっていうし、許しておくれよ。俺はみんなにもちょっとだけスタァライトしてほしいだけなんだ。
ちょっとだけなら大丈夫だって、みんなやってるからさ。
これもヤベー奴の常套句である。みんなは真似しちゃダメだぜ。
だがそんな『劇ス』のレヴューも、何度も何度も浴びていると免疫ができてきて、自然と細かいところが気になってくるものである。これは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』をリアルタイムで経験している僕だからなせる業かもしれない。劇場で10回見て、4回目からようやく理解しだし、7回目以降はもう台詞なんかみじんも聞いてなかった。DSSチョーカーのDSSって何の略なのかを確かめるためだけにチケットを取ったこともあった。
まあ、ざっくり言ってしまえば、この劇場版は文字通りの『レヴュー』。すなわち見世物なのである。
一貫するテーマのようなものはあるだろうし、登場人物たちもそれぞれの思いを持って舞台に立っているのだろう。舞台セットもド派手だ。歌も踊りもお芝居も本当にきれいだ。でも所詮は見世物。つまり、華々しくレヴューの舞台に立っているキャラクターたちはみんな演じているのだ。
そこに本音なんてない。だって演じてるんだから。
でも、キャラクターの人となりを知っていて、どういう悩みがあって、とか、今どういう状況に立たされていて、とか、そういうことを何故か僕たちは知ってしまっている。そうするとあら不思議……まるでキャラクターたちが舞台で演じているのではなく、まるでむき出しの野生のままにお互いぶつかり合っているかのようではないか。そして、演じているはずの台詞の端々に、ちょっと本音が漏れだしてくるのが感ぜられる。それが分かった瞬間がたまらなくカタルシスなのだ。
ちょっと嫌なたとえをしよう。
演劇部の部活で、恋人役を演じる男女がいたとする。で、もしその二人が本当に付き合っている恋人同士だったとしたら? みんなヒューヒューっていうだろう。盛り上がるだろう。
じゃあ逆に、この二人は実はめっちゃ仲が悪くて、普段は口も利かないような間柄だったとしたら? 「あいつら普段は仲悪いのに、舞台の上でよく恋人役なんてできるよな~」「本当は仲いいんじゃないの?」「実は付き合ってるらしいよ」などと、いろいろな噂が立つだろう。その人たちは舞台を見ているのではなく、舞台を演じている二人を観ているのである。これは純粋に舞台を楽しんでいると言えるかな? 言えるかもしれない。
だけど、そんなことを知らない人からしたら、「すてきな恋人の演技だなあ」としか思わないはず。ノイズのない状態で、見世物としての舞台を純粋に楽しんでいるわけである。
これが、ちょっと前に僕が言った、「いきなり劇スを観ろ!」といったゆえんである。キャラクターどうしの関係性だの、背景だの、悩みだの、進路だの、そんなものは全部ノイズなのである。そんなこと気にするのは俺みたいな厄介オタクだけでいい。ここだけの話だがちゃんとペンネームで二次創作とか書きまくっている。だから僕はキャラクターの過去の設定とか、関係性とか、そういうかなり突っ込んだところまで、レヴュースタァライトを楽しんでいるのである。
でも君たちはそこまで来なくていい。むしろこの深みまで来たら、娑婆に戻るとき大変だぞ、上昇負荷が。
だからこそ、これから劇場版スタァライトを観る人には、「とにかく観てほしい」のである。余計な情報を中途半端にインプットしてしまう前に、何もない、まっさらな状態で、一度観てほしい。
キャラクターの名前とか関係性とかそんなもんは後から復習すればいい。推しキャラも後から作ればいいさ。そのあとでまた『劇ス』見直せばいいじゃん。何度だって再演できるんだから。
おわりに代えてダイマ
ここまで読んでいただいて、まず、劇場版スタァライトにちょっとでも、ほんのちょっとでも興味を持った人は、「怖いもの見たさ」でいいからとにかく観てこい。とりあえずAmazonプライムビデオのリンクを張っとく。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09NTBC569/ref=atv_dp_share_cu_r
それとも、でもちょっと怖いな……知らないアニメだしな……と、一年前の僕のように縮こまっているそこのキミには、とりあえずアニメ第1話をYouTubeで見ることをお勧めする。
30分あるのでちょっと長いかもしれないが、とりあえずOP曲が流れるまでは観てほしい。だまされたと思ってさ。
さて……勢いのまま飯も食わずに8時間ぶっ通しで書いてしまったわけだが、少しは伝わっただろうか。「いいから観てこい!」というメッセージが。これを言うためだけに22,000文字も文章を書いたんだ。たった8時間で。明日も仕事なのに今午前3時だ。バンプオブチキンもびっくりだぜ。
さて、最後の最後にド派手なダイマをしよう。これが、どうしても今日中にこの文章を書き上げたかった理由だ。
さっきも言った通り『劇ス』が公開されたのは2021年の6月だが、なんと未だに上映している劇場がある。(※2022年7月時点の情報です)
それがこのシネマシティ。中央線・立川駅のすぐそばにある、日本一音響にこだわっていると自称する映画館である。めちゃデカい。
なんと8月18日まで、『劇ス』と『ロロロ』を上映してくれているらしい。そして驚くことに土日は常にほぼ満員だ。平日の夜ですら7割近く席が埋まっている。
何度も言うが公開されてから1年2か月経っているアニメ映画である。Blu-rayはおろか、プライムビデオで会員には無料配信が始まっている。なのに映画館でやっているのだ。正気の沙汰ではない。
それでもなお言っておこう。もし許されるなら映画館で見ておきなさい、と。
理由はいくつかある。ひとつ、こんなチャンスはもう二度とないかもしれない。さすがに1年以上前の映画を何度も映画館でやってくれるなんてことはそうそうない。
もうひとつ、ここシネマシティの音響はマジで格別である。本当に、細かい音まではっきりと聴こえる。Blu-rayには収録されてないんじゃないか? っていう音まで聞こえるのだ。
そして最後に、当たり前のことを声を大にして言わせてもらおう。すなわち、「映画は映画館で見ろ!」ということである。
これは言葉遊びでもなんでもなく、『劇ス』は映画館で見るために作られている映画である。いや、もっと言葉をひねって、劇場で見るため、と言い換えよう。ゆえに『劇場版』。劇場で見るための、レヴュースタァライトなのである。
はっきり言っていきなり映画館に単身乗り込んで『劇ス』を見るのは自殺行為である。打ちのめされ、脳に深刻なダメージが残る。でも、それでもあえて見てほしいのだ。だって、それは今後もう一生負うことのできない傷かもしれないのだ。今までやられたことのない殴られ方で殴られ、そんな殴られ方は今後もう二度とないかもしれないのだ。
それでも殴られるのは嫌だよ! という人は仕方ない。俺も鬼ではないからプライムビデオでまったりとみるといい。優しいだろ?
というか、今も絶賛コロナ禍で、しかも大雨や酷暑が続いている中、映画館にわざわざ足を運ぶのは不安だという人も多いだろう。無理して映画館に行くことはない。その代わりにヘッドホンで爆音で見ること。お兄さんとの約束だ!
「そ、そこまで言うなら……殴られてみようかな……?」
というそこの男気溢れるキミ、よくぞ言った。殴られてこい。アントニオ猪木に闘魂注入されるのと同じくらい、殴られて後悔しない、最高の映画体験がキミを待っているはずだ!
保証する。観て、後悔することは絶対にない。もし後悔したら俺を桜の木の下に埋めてもらっても構わないよ。
長々と書いてしまった。
ここまで読んでくれた人には本当に申し訳ない。そして驚いていることだろう。マジで「いいから一回観ろ!」以上のことを何も語っていないのだから。それは最初にちゃんと注意喚起しておいた。それでもここまで読んだお前が悪いんだ。
でも、読んでくれてありがとうございます。
よかったら夏休みの間に、『劇ス』みて、それで阿鼻叫喚しているさまをTwitterとかnoteのコメントとかに残してください。僕だけじゃなくてスタァライトオタクが全員喜びます。
じゃあとっととスタァライトされておいで。俺は寝るから