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今まさにこの時期に、求めていた人の出会いや情報が、飛び込んでくることがあります。
以前放送された、達×達の「新海誠×川上未映子」氏方の対談の「イノセンス(純粋さ)はいつのどの光景か」は、
今の私に忘れかけていた、とても大切なことを思い出させてくれました。
(対談より抜粋)
新海監督
「12-3歳くらい・・寒さと、寒さの中で見る瞬きみたいなもの。ギラギラ見えて、その届かないギラギラ・・あのときに本当に大事なものを受け取って、今作品の中にどう活かそうかというのを思っている。」
「解像度が高かった・・一枚の葉っぱみたいなものまで。」
川上氏
「10歳前後にみていた、世界の感じと自分の在り方が等価であるというみたいな・・あれはかけがえのない一瞬だった、」
「ものが、遠いんだけどよく見える。その余韻が残っていて、なにか書くときに出てくる」
「10代の頃の純度の高い、解像度の高い目でみた光景やその感動みたいなもの、を今、再現している」。
ああ、そうだった。
ずっと作りたいものはあの頃に見ていた世界なんだ。
都会でサラリーマンをしていた頃は空を見上げることもなくなり、自分がやりたいこと、好きなことへも目をつぶり、時間がないと言い訳をして、便利なガチャガチャしたものに囲まれて、本来ひとが持っている純粋な感覚に耳をすますこともありませんでした。
日々の混沌とした風景や言葉たちの中で、自分の中のイノセンスは、どろどろに消えてしまったと思っていたのですが、
子供の頃に感じていた感覚、眠っていた空想の物語、美しい光景、それらにもう一度気づかされたのは、仕事をやめて時間ができたこともありますが、子供のおかげで「自分自分」から解放されたからかもしれません。
生まれたばかりの頃は自分の時間が取られたと必死でもがいていましたが、今思えば、他者のことを思って改めて、空を見上げる「よゆう」が生まれたような気がします。
季節の変わり目の土や風のかおり、
夕暮れから夜にかけての変わっていく空、
素足にこぼれる、木漏れ日、
徹夜明け、湯ぶねから立ちのぼる湯気の輝き(この解放感が一番幸せ)、
心地の良い、穏やかな時間、澄んだ空気。
どんどん自分が自然に溶け込んでいくようですが・・。
遠い記憶に残っているような光景の蓄積が今の自分になって(支えて)いるんですね・・。
目の前に、いつもこんな言葉が飾ってあります。
「成るままに・・大いなる力にゆだねる」。
そして今日、小一の息子に聞かれました。
「お母さん、生きてきた中で一番嬉しかったことは何?」
「えーと・・大学に合格できたことかな(・・自分自分じゃんか!)
あと、君たちが生まれた時かな」
「へー、僕はね、みんなが笑っている時だよ」
まだまだ修行が足りないようです・・・
子供は師匠です。
豊かさは、人と比べることをしなくなった瞬間に手に入れられる満足感・・
すでに周りにあふれている美しいことに気づくことかもしれない。
「笑っている」ことができるように。