三略講釈【中略-1】
皆さまこんばんは、軍師の弓削彼方です。
ここからは中略編の講釈を進めて参ります。
中略は上略と少し毛色が違いますが、まずは読み進めてみてください。
本文現代語訳
「三皇が治めていた時代には、わざわざ命令を出したり法令を作らなくても、彼らの人徳は天下に広まった。だから人々は、それが誰の功績であるかを知る者は居なかった。
次の五帝の時代には、天や地の自然の道理に則り、命令を出したり法令を整えたので、天下は治まっていた。君主と臣下はお互いに功績を譲り合い、その徳は天下に広まったが、やはり民衆はそれが誰の功績かを知ることはなかった。だから臣下達は褒美を貰おうと思わぬまま功績を立て、率直に働いて国の害になることなどなかった」
解説
三皇とは伏羲(ふっき)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい)の三人の皇帝のことで、五帝とは少昊(しょうこう)・顓頊(せんぎょく)・高辛(こうしん)・堯(ぎょう)・舜(しゅん)の五人の帝王のことです。
ただし歴史書の解釈によって多少人物が入れ替わります。
いずれも伝説上の人物と言って差し支えない人物であり、理想の君主像として伝えられています。
三皇が世を治めていた時代には命令を出したり法令を作らなくても、自然と世の中が上手く回っていました。
それは三帝の人徳と教化が世の隅々にまで行き届いていたからです。
五帝の時代には命令を出し法令を作りましたが、五帝の人徳と教化が十分に世に広まっていたので、世の人々は皆が謙虚で功績を譲り合い、誰のおかげと言うこともなく上手く世の中が回っていました。
ここで言う教化とは宗教的なものではなく、人の上に立つ者として民衆を教え導くと言う意味です。
人徳のある人物が民衆を教育し進むべき方向へと導けば、自然と世の中は上手く治まると言うのがこの節の趣旨となります。
今回の講釈はここまでとなります。
それではまた、次回お会い致しましょう。
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