ベンガルの空に消えかけて
その日はナイトフライトだった。ドバイを飛び立ち、バングラデシュの首都ダッカに朝8時半に着く予定だ。夜中にもかかわらず機中ではなかなか眠れない。というのも真っ暗なエコノミー席の機内で多く人がうろついているのだ。蠢いているといってもよい。しばらくは目をつむり眠る努力をしたが周りの気配にセンシティブになり睡眠はあきらめた。目を開けてシートを起こす、暗がりからおっちゃんの黒い顔と白い目が迫り、パスポートをこちらに差し出し何やら訴えてる。どうやら入国カードを書いてほしいということらしい。字が書けないのだ。でもおっちゃんの言葉はベンガル語だろうに何を言っているか全くわからない。こちらも面倒なので困惑してる風を装っているとと窓側の隣席にいたビジネスマン風の紳士が俺に任せろとばかりに書類を受け取り、必要項目を埋めてあげた。するとさっきからうろついていた人たちが続々とこちらへやってきて私の顔の前に手を突き出し彼にパスポートを渡し出した。5,6人分書いただろうか、あまりの多さにさすがの紳士も困ってしまい、トイレに逃げていった。
字のかけない人が多数中東に出稼ぎに出かけているのだ。いわゆるリーマンショックを迎える前のドバイは空前の建設ラッシュに沸いていた。とはいえ石油成金のアラブ人は現場では働かない。世界最貧国のひとつのバングラデシュには元々英国の植民地ゆえにネットワークがあるのだろう、大量の低賃金労働者がドバイで働いている。巨大なショッピングモールの裏手にあった、あの無数のコンテナハウスに住む労働者たちなのだろうか。灼熱の砂漠地帯にあるコンテナハウスにはエアコンはついているのだろうか。しかし飛行機にいる彼らはフライトで帰国できるだけあって身なりはそれなりにまともだった。故郷に凱旋するかっこうだったからなのかもしれない。この出張はUAE、バングラデシュ、シンガポールと回った。くしくもどこも英帝国の拠点だ。現代においても歴史の因果はフライトルートに記されている。
ダッカ到着は30分遅れた。バゲージクレームで荷物を待っていると自分のスーツケースがなかなか出てこない。というのもあの出稼ぎの人たちの荷物が異様に多いのだ。丈夫でカラフルな巨大ビニールバッグがドカドカ出てくる。一人ひとりがバッグをカートに山積みにする。一族郎党への土産物なのだろうか?
荷物ピックアップでなんと45分のロスが生じた。国内便への乗り継ぎ時間が迫っている。はらはらさせられたが折しも国内便も同じく遅れておりなんとか間に合った。現地で迎えてくれたバングラデシュ人とも無事に合流できた。
国内便は一時間遅れのはずが結局二時間遅れて出発した。待たされている乗客たちは航空会社のスタッフに詰め寄り遅れに抗議する。皆血相変えて抗議してる。何言っているかはまったくわからないがそんな抗議したところで遅れるものは遅れるでしょ。こういうときは平和なボケ国家から来てる旅客は物わかりがいい。一方熾烈な生き残り競争社会から来てるとなんにでもダメ元でアタックする。でもさあ、いい加減な機体修繕で出発されでもしたら、そちらのほうが恐ろしいでしょ。とはいえこれ以上の遅れは、到着後のアポイント時間に影響を与える。
やっとのことで出発時間がやってきた。広い滑走路に駐機して乗客を迎えた機体はやけにちっちゃく見える。不安がよぎる。何しろ最貧国の飛行機、小さいうえにたぶん中古だろう。日本を立つ前の一悶着を思い出した。当初は国営航空会社を予約していたのだが、たまたまバングラデシュから帰国したばかりの商社幹部が言った、「国営航空会社はよく落ちるから避けたほうがいいですよ」慌てて予約を取り直し民営会社に変更したのだった。何しろ安全ランキングで200位以下だという。フライトを予約した旅行代理店に文句を言うとお客さまのご指定のスケジュールを優先して組み立てましたとかぬかしてきた。堕ちたら予定どおりに進められないだろ!
かくいう経緯で予約した民間の小さなプロペラ飛行機に搭乗し第二の都市チッタゴンへ向かい離陸した。離陸直後に眠りに落ちた。真夜中のフライトでの不眠が効いている。しかし深い眠りからはすぐに戻ってきた。まどろみ中で声が聴こえる。バングラデシュ人の同行者が声をかけているのだ。
「ミスター、目が覚めましたか?目的地チッタゴンの天候が悪くてダッカに引き返すことになりましたよ」
「Oh no!Really?」
「はっはっは、I’m joking!」
なんだよつまんねえジョーク言うなよ、疲れてるときにさ、こっちは一晩ねてないんだよ、と思ったのもつかの間、今度はほんとに大きく揺れてだした。乱気流でタービュランスがひどくなりガンガンゆれる。長い。レイニーシーズンはこれだから嫌だ。このままだともしかしたらホントに着陸できないかもな。
揺れに対して私は最初余裕の素振りを見せていた。ところが隣の同行者が前のシートにしがみつき、頭を下にしてスチュワーデスに恐怖を訴えている。何か大声で叫び出した。彼は政府高官の家に育ち、高い教育を受けたせいか、きちんとした英語を話す。文章を書かせればこちらの使ったことのないような文語体も使いこなす。ところがビジネス上で紳士然としている姿をかなぐり捨てて恐怖に慄いてる。それに影響されたのか後方の女性は大声で神に祈りだす。これには私もさすがに不安になった。彼もフライトには慣れてるだろうに、そんな彼がここまで怯えるということは...。私は来シートベルトをきつく締めなおし、前のシートをしっかりとつかんだ。
機体は揺れながらの旋回を何度も何度も繰り返した。挙句、アナウンスが入った。結局目的地チッタゴンには着陸できずに別の小さな空港に降りることになった。ジョークがマコトに化けてしまった。
その空港で缶詰3時間。缶詰というのは比喩としておかしい。待合室など間に合わせ程度のもので、始終オープンエアで待たされた。濃い緑の大地を切り拓いた無駄に広く見える滑走路の脇にある倉庫の前にあつめられた。上空の嵐が嘘のように空は晴れている。遠くの低い空に真っ白な雲が見える。周囲の緑からは草の匂いが微かに香るが、絡みつく湿度と日差しで不快指数100%だ。行き場のない乗客たちは不満を募らせスタッフに押しより大声で抗議する。またもや思う、怒鳴ったところで意味ないでしょ。体力の無駄遣いだと私は冷めていた。
そこにカーキ色のサイズのあった制服姿にトムクルーズばりのサングラスをかけ、ポマードで短い髪をなでつけた若いパイロットらしい男がやってきた。黒い肌に制服がよく似合う。きっと軍人上がりだろう。きちっと背筋を伸ばし、自信満々に乗客に状況を説明し始める。信頼するにたる立派な立ち振る舞いが功を奏したか、次第に乗客たちもおとなしくなっていった。
二度目の出発の時がやってきた。
例のイケメンパイロットが言う。
「悪天候は去りました。私には100%の自信があります。ただしお客様にはオプションがあります。チッタゴンにはバスで行くこともできます。所要時間は、バスなら3時間、飛行機は25分です。どちらか選んでください」
同行者は私に選択を促した。操縦士が100% confidenceがあると言うなら信じるしかない。70%の自信で飛行機を選択した。いまさら長時間のバスは勘弁してほしい。
天気も気持ち晴れてスムーズな離陸だった。しかし、20分経つと、徐々に機体が揺れ始めた。またか。今度は先ほどよりさらにひどいタービュランスだ。しかも長い時間揺れ続ける。私はふたたび祈りの叫びのなかに埋もれる。これはいよいよホントにやばいのだな。人生というのはかくもあっけないのだ、こんな終わり方になるとはね。遺言も思いつかないよ。
前のシートを掴みこわばっているとアナウンスがあった。あのコンフィデンスマンパイロットの声だ。
「こちら操縦士です。悪天候により、これからダッカに引き返します」
キッパリ。
てらいのないたった一言だけ。おいおいそれでおしまいかよ?謝罪とかはないんかいな?自信はあったんじゃないのか?
するとまもなく機体は潔く高度を急上昇させ、機体は安定した飛行に戻ったのだった。パイロットの自信にあふれた顔が浮かんだ。
なんだったんだこの一日は。でも死ぬよりはいいか。パイロットに感謝しなきゃいけないのかもしれない。再チャレンジの状況判断はともかく、操縦技術は素晴らしかった。祈りを含んだ阿鼻叫喚の中動揺する乗客に対し常に笑顔で対応していたスチュワーデスにも救われた。彼女たちの落ち着いた笑顔がなかったらもっと不安になっていただろう。
乗客のだれもがこんな経験は二度と忘れられないと語り合っていた。落ちたら二度体験はリアルに落ちるときだな。
翌日これに懲りた現地の同行者は、私の選択は聞きもせずに、バスを選択した。延々とチッタゴンに向けて出発したのだった。急がば回れ。おかげで緑に溢れた大地を経験できたよ。
以上