3年目のギタリストに美しい空は見えるのか?
49歳スタートとはいえギターを始めて3年目ともなるとコードフォームはそれなりに覚え、指板上の音名も朧げにみえるようになってきた。右手のストロークリズムも練習を重ねれば、安定とは言わないまでも、やってない人から見ればそこそこできてるように見えるかもしれない。
でもいかんせん自室で練習しているだけなので丘サーファーの感は否めない。本物の波を知らないのだ。毎年行われるはずのギター教室主催生徒発表会もこのご時世で何年も中止だしね。
練習する曲はロック、ポップス、ブルースと横に広くやってきて、歌もつけたらなお楽しいので弾き語りもやってみると、みなさんがいとも簡単そうにやってる弾き語りが想定外に苦しいという現実も味わっている。リリックも別の言葉で歌えたら楽しいと思い日本語、英語、韓国語とトライした。
次は何語で歌おうかと思いをめぐらせていると、SNSでいいのに出会った。音楽家の先生と「スペイン語で歌おう」という6回講座だ。これならうってつけだ。Vamos a cantar!
音楽家の先生ならギターコードも教えてくれるだろうし。
さて一回目のレッスン。さっそくスペイン語自己紹介の時間があった。一緒に参加する十数人の生徒さんたちのスペイン語レベルに圧倒されてしまったが、あらかじめ紹介内容は準備してあったのでなんとか終了。
中級者コース選んじゃったのでレッスンはすべてスペイン語で行われるのだ。
「スペイン語は大学の第二外国語で習っただけなのでレベルは低いですが、メキシコに出張する機会があるのでメキシコの曲を歌いたいです。三年前にギターを始めて今も毎日練習しています」と短めの自己紹介。
「そうですか、じゃあ最後の発表会ではギター弾いてくださいね」
「¡Está bien!」
あーあ、言っちゃった。
安請け合いというか
むこうみずというか
生徒の中には本物の歌手がいた。ウクレレをやるというお姉さまも数名。まあ1か月も練習すればオレだって一曲くらいできるようになるでしょ。
初日の曲は、私が覚えたかったまさにそのメキシコの曲だった。
Cielito Lindo
メキシコの第二国歌だとメキシコのアミーゴが言っていた。メキシコシティ(CDMX)ではマリアッチの楽隊がいつでも街角で演奏している。
Ay, ay, ay, ay
アーヤーヤヤ〜♪
と歌えばみんなが呼応する。
1970年代メキシコオリンピックのころ経済発展したメキシコからは、メキシコ人が多く海外旅行に行ったそうだが、ヨーロッパの街角で大声でこの掛け声を歌えば、遠くからでも歌声につられてメキシコ人がやってきたという。それだけ人口に膾炙している曲だ。
シンプルな曲だが歌詞をのせるのは意外に難しい。
Cilelito Lindoとは「美しい空」の意味だが、ここでは女の子への呼びかけとして使われているという。お空みたいに美しいお嬢さんといったとことか。
後日渡された歌詞カードに添えられたギターコードは至ってシンプル。これならいける。
ともかく別途通っているギター教室にコード表を持ってゆき楽譜に落としてもらった。先生はこの曲は初めて聴くそうだが、コード進行は簡単すぎるので、ベース音も入れたらカッコいい、とアレンジして楽譜を作ってくれた。
「この曲は指びきでコードを弾くといいですね」
ここからが苦労の始まりだった。
3年目の新米ギタリストが音楽というもの戸惑う姿を記録するのも面白いんじゃないかな。自分の足跡の記録にもなるし。
練習開始。
親指でベース音を鳴らして
次に人差し指、中指、薬指の3本指でそれぞれの弦を同時に弾く
リズムは6/8拍子
ズンチャッチャ ズンチャッチャ
親指が正しい弦を弾けるようになるまで1週間かかっちゃった。
ひとり練習は心細いので、在宅練習では音源の助けも借りたい。
普段練習しているロックのヒット曲なら歌っているアーティストがはっきりしているのでSpotifyだってYoutubeだってお手本がすぐに見つかる。
ところが伝統的な民謡みたいなものは、無数のバージョンがある。無数のアーティストがいろんなアレンジでやってる。ギターレッスン動画も皆それぞれが独自の弾き方してる。
どうしましょ。
しかも一番困ったのはキーがそれぞれ違うこと。歌のレッスンで曲紹介のためにリンクをもらったYoutube動画のキーも、後日配られた歌詞入りコード表のキーが違うのだ。
私には絶対音感はないので、キーを知るには曲を流しながらコードを実際に鳴らしてみて比べるしかない。コードの違いが度数でわかるわけでなく、ギターの音と、流れてくる曲との間に生まれる漠然とした不協和音を感じるしかない。このキーじゃないなって。でもすぐ正解がわかるわけでなく、いくつか別のキーを弾いて確かめてみる。
ともかくローラー作戦で楽譜通りのキーAで歌う動画を探し当てた。それは女性歌手バージョンだった。
レッスンクラスの生徒のうち8割以上は女性なのでメンバーの歌声に合わせた選択なのだろう。はじめにそこに気づいていれば時間短縮できたのに。
翌週のギター教室では指の弾き方を指導された。私の演奏は指がばたついているがしっかりと音が出ていないという。もっとバネを効かせてしっかりと弾くようにと。見よう見まねで試してみるとたしかに音が変わった。音に芯ができたイメージだ。
「スペイン語で歌おう」クラスの方はというと、2週目は前もって決まっていたメキシコ出張のため欠席し、3週目にキューバの曲を習った。毎週スペイン語圏の国々の文化や自然なんかをスペイン語で説明してもらってからその国の音楽を歌う。国ごとの訛りなんかを歌に取り入れながら。
例えばCielito LindoのCiはメキシコではsi=シという音だがスペインではth=シィなんて具合に。まあどちらもカタカナで表すには無理があるけどね。
スペイン語は母音が大事で、
しっかり長く発音するよう指導される。ストレスの入れ具合をリズムに合わせて強調してと。
ある生徒は、「あなたの歌は子音が長すぎる。まるで英語のようだ」と矯正された。子音に長いも短いもあるのね
この日の課題曲は
Guantanamera
これも大好きな曲だ。
ぜひ弾いてみたい。
聴く分には簡単そうだしね
後日ギターの先生に譜面書いてもらい1週間練習した。
ここでの試練は、単純な繰り返しコードに歌詞をのせてゆくこと。ずっと同じ繰り返しなのでどこから別のフレーズに入るのかわからない。Youtubeの速度機能で70%くらいまでテンポを落として聴き、一時停止をしながら歌詞を譜割りして書き出した。正しく言えば、譜割りしてある原曲歌詞を解読したというべきかな。こんなことが私のレベルでは難しい。ギターを手に持つと、頭がギターの指と音に吸い込まれ、歌詞が途端にわからなくなる。
レッスン四週目についに発表会の段取りが発表会された。個人が一曲選んで発表する形式だと思い込んでいたのに、チームとして合唱するそうな。しかもそれは生徒同士の内輪の発表会でなく、大使館主催「死者の日」Día de muertos イベントのプログラムとして観客を入れたステージに立つという。話がずいぶんとデカいじゃないか。そこでギター弾くのか。
曲目はなんと5曲を続けて合唱するという。まずい。2曲しか練習できていない。
「簡単な曲ばかりですから大丈夫ですよ。来週レッスンの1時間前に楽器持ってきてください。演奏する方々は一緒に練習しましょう!曲目は来週発表します」
曲目決まってないのかよ。
俺にとっては絶対に簡単ではない。
断言できる。
しかも次週はまたもや出張でレッスンに参加出来ないぞ。
「じゃあ練習は再来週もやりましょうね」
でも一時間前にギター持っていくってのは、オフィスにギター持って行けってことか?
で海外出張をはさんでの2週間はあせりのせいかあっというまに過ぎた。
最終レッスン6週目が来た。
レッスン45分前に着いた。ギターは持って来なかった。だってオフィスにギター持って入れないよ。白いスーツでも着てゆけばいいが。練習ではセンセのギター借りよう。
でも練習時間になっても誰もいないのはなんで?
今週の楽器練習はオレだけ?
結局歌のレッスンが始まってしまった。先生に確認すると、楽器の練習はレッスン「前」の一時間でなく、レッスン「後」の一時間であった。私のスペイン語リスニング能力の基礎ができてないことが証明された。中級者じゃない。
ともかく発表会で歌う曲のコード付きの歌詞プリントを渡された。
一見してやけに曲数が多い。
uno dos tres cuatro cinco seis siete !
合唱するのは5曲じゃない!
7曲だ!
一曲一曲はごく短くて、コードを鳴らすだけなれどリズムの違う曲7曲はしんどい。
ともかく練習してきたベース音付きのCielito Lindo を先生に聴いてもらう。
「それはカッコいいバージョンですね。ベース音は別の方が弾いてくれますから、お渡しした簡単バージョンでいいですよ」
つまりダメ出しだ。
実力相応のシンプルな楽譜で弾きなさいってこと。大人だからわかりますよ。
追加の5曲を仕上げる期限の本番まで一週間しかない。しかも3日間は海外出張で練習できない。
さらなる焦燥感
ギター教室で残りの5曲を譜面にしてもらうよう頼んだ。
中の一曲Moliendo Cafe ってのはコーヒールンバだったんだ。ベネズエラの曲だとは知らなかった。先生の得意曲だ。
いつもならスイスイ書いてくれる先生もどうしてもわからない曲があるという。プロでもわからない曲があるんだな。
そりゃそうだよね、初見でしかも国を跨いだラテン民謡だからさ。
アルゼンチンタンゴに付されたコードと私が流したyoutubeのコードが全く違うというのだ。キーが違うのではない。歌詞カードにあるコード進行とは全く別のものだという。そんな馬鹿な。youtubeで別のバージョンをいくつか聴いても、全く違うという。
困った。
でも7曲のうち一曲できなくても、別の人も演奏するわけだから自分は弾かないでやり過ごすのもありだろう。ともかく6曲はしっかり練習しよう。
その日は夜10時半まで練習した。
普段は近所迷惑を考慮して9時には練習をやめるようにしているが、この日はやらなければならない。何せ時間がないのだ。
その夜はよく眠れなかった。一晩中脳内でコードが鳴っていた。演奏のステージで合唱はどんどん進んで行くのだが、私はコードの渦に飲み込まれぐるぐる回って曲のどこにいるのか迷子になっている。歌についても歌詞が飛んでる。さらにはいくら声を出そうとしても喉から音が出てこない。やばいやばい。もっと息をはいて。Ay!声が出た。暗闇の中で。ギター歴2年半ではじめてギターでうなされた。まるで18歳の少年のようだな。
翌日、あの最後に残った一曲、アルゼンチンタンゴの謎が解けた。
渡されたコードは、曲の始まり部分ではなく、サビの部分だったのだ。歌詞もよくみると違ってる。スペイン語の意味をしっかりと理解してないからこういうことが起こる。
さあこれで準備は整った。
これから本番に向けて特訓だ。
ステージではみんな黒い服着てドクロの化粧するみたい。
以上