観光バスで元軍人の話を聞いた キューバは常に戦ってきたんだ
一人旅は好きですが現地でツアーに参加するとちょっと寂しい。
みんな家族やパートナーと一緒だからね。
ビニャーレス渓谷へのバスツアーに一人で参加した私の隣あはインド人のおばあちゃん。ホテルを順繰りに回って参加者を拾うので席が埋まるとパートナーが一緒に座れないことも。
恋人同士で参加したスイス人がガイドに、一緒に座りたいと要求し、席替えに。
一人参加の私は席の調整要員。こういうのやだよね。
今度隣になったのは短髪のたくましい初老のおじさん。
「窓側に座りたければ、席譲るよ」とやさしいお言葉。
「ありがとう。大丈夫です」
このやりとりを聞いていた女性ガイドが言います。
「おじさん、キューバ人でしょ?」
観光ツアーに参加するのは外人観光客ばかりです。
「そうだよ」とおじさん。
相手に席を譲る言葉を聞き、彼をキューバ人だと思う。
キューバってきっといい国だ。譲り合いの精神。なんかうれしくなってきた。
おじさんの名前はマリオ。
英語はペラペラ。イタリア語もできるって。
観光客にダイビングを教えてて言葉を覚えたと言います。
筋肉質で日焼けした彼はアルミ製にリハビリ杖を持っています。
ずうっと軍人をしていたとのこと。
「今じゃ引退したからやさしい男だよと。」
それから軍の話をききました。
銃の訓練には2種類あると。
ひとつはスナイパータイプ。
もうひとつは早撃ち。
彼は前者だ。
遠くに照準をズドン。
ジャングルの訓練は辛かったと。
1日見張って獲物一匹なんてことも。
ゲリラ戦訓練です。
早撃ちはガードマンに必要だと。
相手より早く撃つ。要人暗殺者より早く。
「AK-47って知ってるか?あれはいいライフルだぞ。
ソ連に供給してもらったんだ。
AKMって呼ばれてたけど、歴史上最高の銃だ。
壊れないし、簡単に撃てる。
お前でも2週間訓練すれば撃てるよ!」
少年の頃から軍に参加したって。
当時はいつアメリカが侵攻してくるかわからない時代。
みんなが戦わなければならないという思いがあったと。
幸い今日まで攻めて来なかったよ。
68歳というので1947年生まれ。
17歳で参加なら1964年。
キューバ危機が1962年ですから緊張感は最高潮だったでしょう。
「マリオさんはゲバラ見たことある?」
「もちろん! おれは武器の輸送係をしてたから直接届けたこともあるんだよ。
でも彼はキューバを出て行った。そしてボリビアで亡くなったんだ。
悲しいことだよ。」
ゲバラはみんなの中でいきている。
彼とはもう一度街でばったり会いました。
7月20日米国利益代表部が大使館に格上げされる日。
セレモニーを期待してその場に行った私は彼の姿を見かけ声をかけました。
「今日はセレモニーやらないようだね。二週間前には今日やるって聞いたんだけど。」
「ここにはたくさんの人が集まってるんだけど。地元ハバナの人はあまりいないんだよ。監視されてるからね。」
社会主義国家のダークな面がちらり。
以上