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長女の高校中退が決まると、実家の母から電話がかかってきました。「学校に行かないのなら、長女を実家で預かる」という電話でした。長女はずっと、小さい頃住んでいた実家のそばに帰りたがっていました。そちらに行くと身体が軽いと言っていました。実家には1番上の私の姉もいました。教師をしていて、長女のような状態の子の扱いにも慣れていました。私はまだ離婚協議中、ダブルワーク中で、ぐちゃぐちゃの生活をしていました。私はありがたくその申し出を受けさせてもらう事にしました。
離婚協議が進まない中、ある日母と1番上の姉がうちにやって来ました。2人は私に、私と次女も実家の方に帰ってくるよう説得しに来たのです。それだけは私の中であり得ませんでした。長女をみてもらっているのは申し訳ない。でも何だろう、、この状態で帰ったら、私は小さい頃の自分に戻ってしまう、、そんな気がしてなりませんでした。
しかし、最終的に母に「お前が心配で私が死んでしまいそうだ」と泣かれ、私の意地はポッキリと折れてしまいました。
私は母まで泣かせているのか、、、。
私は帰る決心をしました。全てに負けた、、そんな気がしました。
近くに住むすぐ上の姉に話すと、その姉は「お前、それは違うぞ。本当にそれでいいのか?私が泣いたら辞めるか?」と大反対されました。でも私は、帰る決意を固めていました。母を泣かしたくないと思うと、この姉を泣かす事になりました。
次女にも引っ越す話をすると、次女も
「私が友達とうまくやる為にどれだけ頑張って来たと思ってるんだ💢引っ越したくない💢」
と怒りました。
あっちにもこっちにも迷惑をかけ、怒らせ、泣かせ、謝り続けていた私は、次女に怒られた途端にトイレで吐いてしまいました。その後いつまで経っても吐き気が止まず、胃が痛くてたまりませんでした。次女に胃薬を買って来てくれと頼み、その薬を飲んでも吐き続けていました。次の日は日曜日、何とか今日中に医者に行かないとまずい、、、。
私は初めて救急車を呼びました。
次女を一人置いていくので、近くに住む姉に電話をしました。姉は思いがけずその時かなり遠くにいたのですが、自転車を飛ばして帰って来て、その後次女と病院に来てくれました。
私は救急隊員が家に入ってきてくれた時にもう一度吐き、なぜかその瞬間、痛みも吐き気も無くなってしまいました。あれ、、、?救急隊員さんが来てくれたら治った、、、?そんな気がしましたが、私はそのまま救急車で運ばれました。救急隊員の方の対応で、既に安心感に包まれていました。
病院で点滴を打ってもらい、その後ピンピンしてすぐ家に戻りました。ほんとに何だったんだあの治った瞬間は、、、。何時間も転げ回っていたのに、、、。