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父介護?長女帰宅


保険の営業時代から始まった強い眠気を何とかしたくて、漢方薬をもらったりしていましたがなかなか良くならず、もしかして無呼吸症候群の可能性もあるのではないか?と実家の目の前のクリニックに検査をお願いしました(結果は無呼吸症候群ではありませんでした)。その結果を聞きに待合室で待っていた時、受付に母の姿が見えました。受付の人と何か少し慌てている様子で話しています。母に声をかけどうしたのか聞くと、父が「片側の手が動かない。おかしい」と言っていると言います。
クリニックの医院長先生も出て来ました。父が糖尿病の治療でお世話になっている先生です。先生は、脳梗塞の可能性があるからすぐ救急車を呼んだ方がいいと、救急車の手配をして下さいました。
私も目の前の実家に行き、父が救急車に乗る為の準備を手伝いました。父の緊急事態に居合わせる事が出来て、たまたまクリニックに来ていて良かったと思いました。
父はやはり脳梗塞で、その後介護生活が始まろうとしていました。しかし姉と母が介護生活の準備をしている間に、父はほぼ理想的な"ピンピンころり”状態であっという間に穏やかに亡くなりました。4姉妹全員揃った状態で、家で看取ることが出来ました。

実家に居候生活を続けていた長女は、父の介護が始まると思われたのを機に家に帰るよう姉が言ってくれてうちに戻って来ました。
全国にある大型量販店の企業に就職していた長女は、社宅暮らしの店舗から実家から歩いて行ける店舗に配属を変えてもらっていました。仕事内容も本来新入社員は皆売り場業務のところを、事務の仕事に変えてもらっていました。始めは上司に恵まれ行けていましたが、その上司が異動になり新しい上司に変わると再び体調を崩し、長期休暇をもらったり、また少し行ったり、を繰り返していました。長女は勤め続ける事をずっと諦めていませんでした。最初の上司は、出世した方が長女にとって働きやすい環境に行ける、その為には昇級テストに合格する事と、店舗業務の経験が不可欠である事を教えて下さいました。長女は何年も体調不良で昇級テストにチャレンジ出来ませんでしたが、その後ようやくテストに合格する事が出来ました。あとは店舗業務の経験が必要です。会社は長女に花屋の業務を与えて下さいました。花には以前から興味を持っていたのでそこは楽しみにしていたのですが、店舗を異動する事になり、40分ほど電車に乗って通勤をしなければならなくなりました。専門学校に通っていた駅と同じ駅だったので長女が行き慣れていた場所ではあったのですが、通勤の負担は明らかに増えました。
また既存の売り場で先輩と働くというのではなく、新しく立ち上げる売り場の店長というのが不安でした。花屋なんて初めてなのに、新しく立ち上げる店、つまりこれまでどうしていたか教えてもらえる先輩はいないし、試行錯誤しながら自分で1から作り上げていかなければいけません。でも、逆に自分の自由に出来るんじゃん?なんて励ましましたが、現実はそうはいきませんでした。相談できるのは、野菜などを担当している青果部門の人で、店番は1人きりでした。長女は熱意を持って数ヶ月頑張りましたが、再びパニック発作が起きるようになり、行けなくなりました。
初めて1年以上に及ぶ長い休暇をもらいました。長女の安全を考えると、会社的に仕事に戻す事は出来ないとの事。そりゃそうだ、、。会社には感謝しかありません。あと数ヶ月休んだら自動退社となりますが、10年前から今もなお午前中に起きれず外に出るとすぐ具合が悪くなる長女が、残り数ヶ月で仕事を出来るようになるのは難しそうです。というか、こんな身体で何度もリタイアしているのに働く事を諦めなかったのも凄いなと思います。そしてこれまでこんなに休んでいても社員で居させてもらえたのは本当に有り難いですm(__)m大企業って凄いですね、、。

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