わたしが見た「Tokyo Summer」
「Tokyo Summer」はlittle tokyoという架空の雪国リゾートを舞台にしがない中年男性の穣一と女子大生の今日子が一週間を過ごす話である。あらすじを説明していこう。
ある日、上場企業の窓際族であった穣一はついに早期退職するように命じられてしまう。
仕事が好きであったわけでも執着していたわけでもなかったが、長い時間を会社のために浪費してきたことは事実だ。権力も責任からも程遠い、51歳独身男性、穣一のはじめての旅が始まる。
一方、ミステリアスなギャルの今日子は今日もレンタル彼女として働く。珍しく今日の依頼は旅行だ。しかも海外。今回はいい報酬になりそうだと、ノートパソコンの目の前で、少しいつもよりも、高いチーズケーキをほおばる。
こうして、二人は出会う。
寂しいあるある(ジェネレーションギャップや老いなど)が羅列され、中年男性には痛い映画だ。
彼らの関係性は「金」で、だからこそ、冷え切ることは許されない。そういった閉塞感が漂う。総監督のソコラノクサ氏によるとこの物語は彼のスランプ時の実体験をもとに描いたそうだ。
旅行は何事もなく終わる。
今日子の正体については、映画本体の作中では匂わせにとどまっているが、この映画では挑戦的な試みがされている。彼女の正体および穣一の今後についてはメディアによってマルチエンディングが用意されている。
主に民放のテレビ局、ローカルのテレビ局、ケーブルテレビのチャンネルrowrow、YouTube、noteでそれぞれの結末が用意されている。具体例を挙げて説明する。
民放である、テレビモランボンではゴールデン枠の金曜午後7時から放映され、穣一と今日子がめでたく結ばれ理想的な家庭を持つというエンディングが用意された。
一方ローカルのテレビ局は、映画の結末の舞台を地元にし、時間帯は早朝に放映された。
また、ケーブルテレビのrowrowでは連続テレビドラマ化され、スパイ映画仕立ての壮大なストーリーが展開され、濃厚なラブシーンが評価された。
YouTubeでは、「Tokyo Summer」の主題歌である、「Tokyo Summer」にミュージックビデオが作成されアップロードされた。
各媒体の制作に、映画の総監督が携わり、脚本家には国内国外問わず新進気鋭の作家が抜擢された。noteでは穣一と今日子それぞれの視点から、今までの人生やそのシーンごとの回想が事細やかに書き綴られた。
それぞれの作風には陰鬱であるという、統一感があり、どのような可能性もありうると感じさせる。
感想
今までにこのような試みは全くなかったわけではないが、ここまで大規模かつ、多様な人によって同じ主人公の物語が同時期に作られたことはなかっただろう。
また、マルチエンディングにしたことによって一人の観客が複数回、作品に触れるということが可能になり、名強いファンとなり、またその観客による二次創作が生まれるという循環すら予期される。
テレビ業界を中心とするメディアの迷走が目立つ中、革新的な試みを行ったと私は考える。
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