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女児向け玩具と音楽から見るファッションとの付き合い方。

こんばんは!!!

今日はファッションについての私のスタンスを語る。

私はもともと服を見るのも着るのも好きだ。それは私が3歳児ぐらいの時からである。

1リカちゃん人形

その源流は何かと考えた際に出てくるのが、リカちゃん人形やバービー人形などの女児向け玩具である。(小学校高学年ぐらいまでは普通に現役で遊んでいた。)人形の置かれているストーリーには見向きもしていなかった、私がリカちゃん人形やバービー人形の設定に興味を抱くようになったのは、もっといろいろな社会構造や、「子供」を経験したのちである。

ただ単に、人間の女に似た人形が手元にあることが重要であった。また、私がそれら人形たちに着せる布はそれ単体で自分の身に着けているものよりも高いことがあるということも不思議でならなかった。面積としては自らが身に着けているもののほうがはるかに大きいのになぜ高額なのか、そのようなことを考えるように次第になった。

幼少のころから、ファッションと経済は切り離せないということをなんとなく察していたと思う。

欲しいものはすべて手に入るわけではない(人形の洋服は高額である)と実感したと同時に「私が着る」ということに意味はあるのか。

「人形が着飾ること」と「私が着飾ること」はどう違うのか。

逆にどのような点で「自らが装うこと」と、「人形が装うこと」を同一視しているのかは、私にとって大きなテーマの一つである。

2『ガールズモード』(GIRLS MODE)シリーズ

小学校高学年ごろにリカちゃん人形と入れ替わりでハマったのがガールズモード』(GIRLS MODE)シリーズである。


『ガールズモード』(GIRLS MODE)とはシンソフィアが開発し、任天堂より発売されているゲームシリーズのことである。一貫した内容としてはショップ店員になって客にコーディネートを売りつけていくゲームである。毎日毎日店頭に立ち、展示会(ゲーム内ではここで入荷した商品しか売れない)と実店舗を往復する毎日。「同じことの繰り返し」のつまらないゲームだと思う人もたくさんいるだろう。

しかし私はずっとハマっている。なんなら現在でも一年に一回はゲームを開き店頭に立っている。

何がそこまで私を魅了しているのか。それは、このゲームが変わらないということの素晴らしさをありありと描き出しているからだ。実家のような安心感があるのだ。ファッション(流行)にはそれがない。それなのに、このゲームにおいてファッション(流行)と安心感(アップデートもサービス終了も存在しない世界)は共存している。その相反する二つが結びついている歪んだ構造は一度ハマると抜け出せなくなる中毒性を孕んでいる。

私にとって身に着けるものとは変わらないための道具(安心を作る機械)であり、装いとはセルフマネジメントの一環である。

3 アーバンギャルド作「ガールズコレクション」

この曲を初めて聞いた時私はとても驚いた、、、上記のゲームの世界観にぴったりの楽曲であったからだ。


なぜそう思ったのか要因は主に2つある。

①曲調

「ガールズモード」ゲーム内のBGMは現実の店(デパートなど)でかかっている音楽と似通っている。(ゲーム内においては自分の店の取扱うジャンルによって選曲することができる)

私が特に「ガールズコレクション」と似ていると感じたのは、散歩している時に流れるBGMや展示会のBGMである。

人々のしゃべり声や足音、ゲームの中に都市があるということ。自らの持つ店は都市の中にあり、社会が形成されているということを自然に認識するように促す演出である。

この演出はアーバンギャルドの「ガールズコレクション」にも使用(子供のはしゃぐ声が使用)されている。この点が両者を結びつける大きな要因である。「子供」は常に流行の最先端にさらされている。

②「ガールズコレクション」の歌詞

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この歌詞は、一般的なファッション(流行)の様子を現しているように思えるが、そうではない。「わたし」が目指しているのは「あなた」のモード(流行)であり、大衆に向けたものではないのである。いったい「あなた」とは誰のことであろう。また、「都会を着せかえ」るということは、「都会」に合わせて、身に着けるものを変える、ということではないように思う。「あなた」が都会を作る。「あなた」が作った都会に、「わたし」が着替える。

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「あなた」=たった一人のデザイナーである。そしてここでのモード(流行)はたった一人のデザイナーのためのモードである。「わたし」にとって「あなた」は流行の創造神であると同時にそれは、

一人だけのためのモードであるということも示唆している。

このことは「ガールズコレクション」ゲームのプレイヤーであれば、状況として理解できるであろう。作中のキャラクターはプレイヤーの作り出した、「妄想の流行」を追うことを強いられているに過ぎないということである。

ファッションは集団的な妄想であり、「ガールズコレクション」のデザイナーや、「ガールズモード」のプレイヤーのように、個人の装いはもっと独りよがりでもよいのでは?という問いが私の中に浮かんだ。

まとめ

私にとってファッションとは、正直言ってくだらないものである。捨てろと言われれば捨てることのできる。不要不急の添加物である。しかし、だからこそ誰にも縛られずに好きなものを安心して取捨選択し、「魅せたい自分」演出することのできる装置であるともいえる。

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