印象に残っているCM 資生堂 TSUBAKI 文サお茶代
資生堂 シャンプー TSUBAKI
当時、私は5、6歳で幼稚園生だったのでかなり記憶が曖昧だった。そのこともあり、誰が出演していたかやどのようなシーン設定だったかは記憶違いが多く戸惑った。SMAPの「Dear Woman」がBGMとして流れ、たくさんの女性たちが歩きだすというのが、シリーズに共通しているシナリオのCMだ。
日本は、もっと輝く。
髪のきれいな女性たち自信をもって闊歩する姿は珍しいなと思っていた。(欧米のビジネスウーマンを彷彿とさせる)子供ながらに大人って楽しそうだなって漠然と思った。世界を股にかけて働いている女性たち(イメージ)は素直に憧れの対象であった。
女性は美しくなければならない?
今、このCMが制作されてから15年が経過し、社会もあたりまえに変化していった。私も成長し、20になった。髪は女性の象徴的な美しい部位の一つであるのは今もだが、こんなに髪をなびかせて歩いている女性は実際はあまりいない。
このCMたちが作られた時もすでに不景気で、停滞していたと思うががそれを感じさせないような明るいCMだと感じる。さらに不景気な現在と比べてみると希望があるように見える。日本を代表する女優たちは世界中で活躍しているような描写も作中でなされている。グローバル指向なのが分かる。
しかし、笑顔の女性をみても、本心から笑っているのかと疑問に思ってしまう。男性を中心とする社会から愛想笑いや愛嬌そのものに価値を見出されているから、「笑う」のだと感じる。そして、このCMには男性が登場しないということに改めて気づく。
もはやこのCMが好きなのかももわからないレベル。「お前らは女性は美しくないと社会に出れない」というメッセージにもとれてしまう。「日本の女性は美しい」という言葉に呪いを感じる。まず主語が大きすぎる。「大きな主語は危険」ということもよく言われる言葉だと思うがそれが実感できる。このキャッチコピーを使うなら、美のステレオタイプを超えて新たな美を提案しなければならないと思う。
「美」の行方
これからの話をしよう。「女性」だけではなく「男性」も「美」が求められる時代がやってくると思う。現在「女性」や「女子」にターゲットを限定したCMはほとんど作られなくなった。(脱毛のCMぐらい)また、「男性」も手に取りやすいような化粧品のパッケージをつくることで市場を拡大しようという流れも見える。さらに美容整形がさかんになり、相対的に「美」のハードルが上がったことも感じる。「美」の市場に巻き込まれる私たちは果たしてどのようにふるまえばよいのだろうか。