論文に挑戦する理由
こんばんは。
今日は昼食を回転ずしで少し遅めに済ませたので,夕食は野菜とゆで卵で終了しました。
質素だなと思いながら食していたらこれが何と自分にはクリティカルヒット!眠くならないし,特別おなかが減っているわけではない。おっと,たまにはこういう日もあっていいかも♪新たな発見でした。
今日は『今年は論文に挑戦しようと思っているけど,何でですか?』というテーマでnoteを書きたいと思います。自分の決意表明のようなものです。
論文って面倒くさいですよね。私も同感です。同僚の中にプライベートでもお酒を飲みに行くメンバーがいるのですが,その人達に「来年は論文を書こうと思うんだよね」とポロっと言ってみたところ,全員から「めっちゃ大変だよ。誰かに言われたの?」と返答が返ってきました。
半分当たって,一昨年の校長面談の時に「初任校で論文書いた方がいいよ」と言われたんです。特に校長先生が現役の時は(今もバリバリ現役です,ごめんなさい)論文を必死で何年も書いて,賞をもらって初めて論文から解放されたとのこと。すごっ!今の僕からは考えられません。
そんな校長先生のことを僕は大好きだったので,やってみようかなと心のどこかでは思っていたものの,行動に移しては来ませんでした。(だって面倒くさいんだもん,重ね重ねごめんなさい)
でも,半分不正解です。
去年一年間過ごす中で,セカンドキャリアを考えることが増えてきました。1年生と6年生の担任を断っている小学校教員が教職を離れて第二のキャリアに移るときに,冠になってくれるものは何だろうかと考えたところ…何もありませんでした。
教師の常識は社会の非常識とはよく言ったもので(教師は素敵な職業ですす!),教職を離れてしまうと誇れるものが「いい学級を作った」とか「卒業生からたくさん感謝の言葉をもらった」とか抽象的なものになってしまいます。就職活動の時に勉強したように自己PRは具体的なものでなくてはいけません。それなのに教員の世界では具体的な成果はほとんど出ません。だって教育には正解がないって言われているんですから。
そんな世界から外の世界へ行く時のパスポートは当たり前ながら空っぽです。それを改めて気づいたとき,論文って意外と大切じゃないかと思いました。だって,教育の成果を第三者の方々に客観的に判断してもらえる機会なんてなかなかない。そこで優秀賞なんて取ったら,一つの教育の成果として誇ることができます。
自分のできないことを見つめてみると,自分には他の先生よりもやらないといけないことが明確にあることが分かりました。
今年,まず第一歩,論文を書くことにチャレンジしてみます。
~言葉が障害になっている人に僕の応援が届きますように~