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複合機に用紙を補充する人


「周りをよくみて動けるように」と、新入社員の頃よく言われた。

足りないものを補充するのはバイト時代からよくやっていたのもあり、新入社員の仕事としても、備品の補充は必然的に自分がやるようになった。

何かに急いで印刷している時に限って用紙は無くなって、通知音のピーッピーッ ピーッピーッという音が気持ちを余計に焦らせる。
だから自分が使った後は残量を確認して、メモリが残り1つだったら完全に無くなる前に先に補充するようにした。
少しトレーに残った紙を上に、新しい束を下に。


私は、多分、ある程度残った状態で補充しないと不安になる。
気づかず空っぽになっていて、上司に補充させてしまった時は何だか申し訳なさでいっぱいになる。


問題、というかちょっと悩ましい事は、残量をどこまで許容できるか、人それぞれなところ。

空っぽになってから補充で問題ない人、
残り2〜3個で問題ない人、
残り1割で補充したい人、
常に満タンでいたい人。


補充する物の種類にもよるだろうけれど、ここの感覚の違いは、私の職場では人と人の間にすれ違いを起こしているように感じる。

明確に「残り○個になったら」、「〇〇さんが補充する」と決まっていないから、余計に。

自分が補充するのが嫌なわけじゃない。

誰かのためじゃない。
自分のため。


ただ、この許容範囲の違いによるすれ違いが生む、微妙なモヤモヤした周囲の空気と、自分の器の小ささに辟易する。


いくつかの出来事を経て、
「そんな細かい事決めなくていいよ」「何となく少なくなったらでいいよ」など言いながら、人それぞれに自分のものさしがあって、そこが人と合わないという事は、意外と繊細な感情のスイッチなんだなと思った。


忙しかったり疲れていたりすると、許容範囲が狭くなる気がする。余計な事を気にして、重要なことを見落としている気がする。

重要な事は、コピー用紙の話なんかじゃなかったはずなのに。

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