大人って意外と大人じゃないよね

小さい頃の僕は大人になればみんなある程度頭が良くて、
要領良く仕事をこなすものなんだ。
配慮ができたり、気を配れるのが大人なんだ。
そう思ってた。

でも、大人になって気づいた。
そんな事ない。

結構ないい大人でも、メールはちゃんと読まないし、自分で書いた文章を確認しないし、約束は破るし、気は利かない。

傘を水平に持つおじさんや電車で無駄に足を開くアニキなんかは多分子供が同じことやってたら先生や両親に叱られるでしょ?
傘振り回すんじゃありません、とかさ。
(傘の水平持ち≠傘振り回しじゃん?とか思ったならそれはアホすぎる。
「周りの人に迷惑をかけないように振る舞いなさい」と言いたい本質が見えてない)

2分後に会議が始まるのに、急ぎでもない電話かけ始める会社の先輩。
あとでええやろ。
ついさっき説明したことや報告書に書いてあることを聞いてくる上司。
なんでコイツが上司なんだ?
朝礼中に鳴った電話をとってデカい声で喋る後輩A。
お客様からならまあ電話を取るのは分かる、せめてその場から離れてろよ。
同じ誤ちを多分100回は言われてるのに繰り返す会社の後輩B。
お前のせいでお前を監視する業務ができてるやんけ。

もちろん、その瞬間を切り取ってみた時にそうなってしまっていることだってあると思う。偶然にそうなってしまった場合やヒューマンエラーの類なら誰にだって起こりうる。

でも、いくらなんでもみんな“僕が子供の頃に思ってた大人”じゃなさすぎる。

気にしすぎなのかな?僕が過剰なだけ?

もちろん僕だって100点満点の大人じゃない。それはわかってる。
でも、「人のふり見て我がふり直せ」って言葉がある通り、なるべくなら僕は”大人”になろうと心がけてる。

自分がそうであろうとする事と、相手にそうであって欲しいと願うのは違うってのも分かる。

でも、気になる。
気になりすぎるし、まーじでイライラする。

僕が変なのか?
世界はたぶんずっとこうだったはず。
最近になって急に世界がこんなやつで溢れかえったとは流石に思えない。
この世界を受け入れるってことが大人になるってことだったのかな。
だとしたら僕が変だし、幼いってことだ。

適応障害になってから、僕は自分の心の動きにしっかり向き合うようにしてる。
気になったこと、イライラしたことに対し、誰の何が僕をそうさせたのかを考える。

その上で、これはさすがに僕の気にしすぎだ、考えすぎだ。と思えることもある。
そういうことは、じっと内省することで耐えれるんだ。
耐えれるようになった。

でも、やっぱり間違ってなくね?ってことも多々ある。
上の例は大体そう思ってしまうことだ。
(後輩B君はもしかしたら障害っぽいので違うかも)

僕が適応障害を機に変わってしまったのか。
もともと世界の大人はそれほど大人じゃなくて、それを無視できたていたのが、できなくなってしまったのだろうか。

そうだな、少なくとも今はそう思っているのが精神安定上、悪くなさそう。


でも、治ったらどうなるんだろう。
大人じゃない大人を無視できるようになった時、僕は大人になったと言えるのか。
そうなった時、僕は僕自身を大人と判断できるのだろうか。


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