いち読者、いちシラシー。
夏休みである。いろいろ考えさせられる時間である。
シラスを見て、ハカセの本棚から本を見つけて読んでいる。
しかしこれに「意味はあるのか」と言われると、たぶんない。
生産性はあるのかと言われたら、ない。
学校が休みの間、短期バイトして(タイミーとか!)稼いだ方が生産性はある。
中年である。人生折り返し地点だ。
今から本を読んで教養を身に着けようとしても、何か業績が残せるわけではない。博士号もとれない(そのような能力もそのつもりもない)。
世の中も変えられない。学んだことを人に還元できるわけでもない。
今までの人生も後悔はしていないが、積み上げてきたものがない。
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』シリーズを読んだ。
その中で何度か、大人が子どもに「私のようになりたいか? 勉強して上の階級へ行きなさい」ということを言うシーンがある。
それを言う大人は、自分は貧しい環境で育って勉強にも身が入らなくて、だから今このような低賃金の労働にしかつけなかった。子どもにはそういう目に遭ってほしくないから、とにかく教育を受けさせて「いい学校」へ行ってほしい、という願いを持っている。
しかし、私の場合は、(日本社会における学歴的には)それほど悪くない大学へ入ることはできたものの、その後うまく仕事に就けず(新卒入社の波に乗れず)、転職を繰り返した。
それは自分の責任である。私のときは就職氷河期を脱していた。社会のせいではない。
でも、どうしても、流れるような就職活動、お金を稼ぐ(ために何か、特に人間関係を、我慢する)こと、社会の中で働くことにリアリティを持てなかった。
今は、一応納得できる仕事ではあるが、生涯で一番低い収入である。
というか私の年収はずっと転職に伴って下がり続けている(←夏の怪談)。
一番年収が良かったのは、公務員の期限付きアルバイトをしていた時だった。小さな会社の正社員なんかよりずっと給料も福利厚生も良かった(怖いですね~…)。
いい大学に入っても、「いい会社」「いい仕事」にたどり着けなければ、こういう人生になる。
お金(が稼げること)がすべてではないが、成人した人間にとって、お金(が稼げること)はかなり大事である。
幸運にも(完全な運だが)ハカセに会えたから、今はクーラーのついた部屋でお腹をすかさず暮らすことができているだけだ。私の力ではない。
そんな中で、なんで本を読むのかなと思う。
若いときなら、高校生なら、本を読むことは未来を広げることに直結するだろう。
逃避としてもいいだろう。若いときの適切な逃げ場所は大事だ。
中年の私はなんで本を読むのだろう。
なんでシラスを見るのだろう。
シラスを見て、自分の仕事や生活に直接活かしている人もたくさんいると思うけど、私はそうじゃない。
まだ逃避しているのかもしれない。きっとそうだろう。
本なんか読んでいる場合か(しかも自分の仕事に関係ない本を)?
シラス見ている場合か?
若い人には意味があるかもしれないが、中年が本を読んでシラスを見て何か変わるのか?
わからない。
中年になってもわからないのである。
社会人になってからの年数が、学校に通っていた年数をとっくに超えているのだが、いまだに社会的ないろんなものとの付き合い方がわからない。
私が言いたいのは、学校を出る前に、学校を出た後のことを意識しておいてほしいということだ。
当たり前のことかもしれないが、親にも私にもそれが分かっていなかった。
「いい学校」を出た後も人生は続く。
私のような凡人が本を読むことに意味はない。生産性もない。
だが、喜びである。
それだけだ。
楽しいから、面白いから、本を読んで、シラスを見ている。
別に私が本を読んでシラスを見たからといって、何かすごいアイディアが出るわけでも、調整ができるわけでもない。
大金を落とすことができるわけでもなく、私が宣伝したらゲンロンが100冊売れるとかもない。
でも楽しい。
小さい頃から変わらない、私の喜びだ。
いい文章、いい本、いい作品に出会うのが私の人生の喜びだ。
応援…というのも幻想かもしれないが、楽しいうちは、できる範囲で、応援していきたい。
推せるうちに推せって言いますし。
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