Rambling, Gambling
今回は自分が最近思っていることを書き連ねてみようと思う。
この頃身の回りで起こったこと、そこから考えたこと、そしてそれを念頭にして自分が近頃見たドラマやアニメのあるセリフから考えたことや周りの人の言葉を受けて思ったこと、そしてこれを一番読んでほしい人がある日書き連ねたノートの記事へのアンサーソングみたいなところもある。
そしてその思考や問答のキャッチボールの結果、あるいは過程として、自分が至った考えでもある。
The Mamas & The Papas の "This is dedicated to the one I love" でも流しながら読んでほしい。
まずは自己紹介からしよう。でもこれは別に自分の名前とか年齢とか住所を明かすようなものではない。
自分は、他人の言動を受けて、その人が喜びそうなことを言ってしまうイエスマンのような気質がある。
今まで自分の行き先を自分で決めてきたことは少なくて、周りの流れに身を任せて今の状況に行きついた。
どこに行こうとか、何しようか、という小さな誘いから、新しい仕事を始めたり、女の子からの告白という大きな誘いまで。
自分の決断を受けてこの先起こりうる未来とか自分が背負ってしまうであろう責任のことは後回しだった。
自分の言動で他人を喜ばせることに酔いしれて、臭いものに蓋をしてしまっていた。
不器用な自分には、蓋をすることなんてできないくせに。
一ヶ月ほど前、当然ながらその結果を受けて、ある人を傷つけてしまった。
本当に申し訳ないと思う。
今すぐ会えるものなら、心からごめんと伝えたい。
その人は、僕がもっとも大切にしたい人。今後もこの気持ちが変わることはないだろう。変わってほしくもない。
ある時は親友だと語り合ったり、最高の恋人だとも語り合ったり、小難しくて哲学的な話をしたり子供じみたバカげたことをして笑い転げたり好きな音楽の紹介をしたり、何から何までできる最高の人だ。
将来は一緒にビールでも飲みながらまたこの海をぼーっと見ようなんてことも話していた。
死ぬまで手を放したくない人なんてことも言われた。もちろん僕もそう思っている。
その人にはメンヘラ製造機な一面もあって、前に付き合っていた人がこんなメッセージを送ってきただとかも話していた。
「俺はそうはなりたくないな」なんて思いながら、最近は既読もついていないのにラインを送ったり、電話をかけてしまおうかとかかけたらもっと迷惑がられて嫌がられるかもなとか、じゃあ手紙を送るのはどうかとか色んな心配をしてしまったり、結局こんなことを書き連ねてしまって十二分に沼ってしまっているところもある。
メンヘラ製造機め
でも、本当にその人のことを愛しているなら、駆け引きはやめて自分の気持ちをはっきりと言うべきだというセリフを聞いて、心からそう思った。
だから、行動してみようと思う。
愛とは
ノートの記事の最後の文は、愛の具現化とは、というような内容で終わっていた。
ここからは自分が現時点で行きついた答えになる。
そのノートへのアンサーソングとして、ここに書いていく。
自分にとって、本物の愛、とは、自分が大事にしたい人を手放したくないという気持ち、そしてその人とどんな形であれ生涯を共に過ごしたいと思う気持ちである。
そして、愛の具現化とは、その気持ちを文字通り具体的な行動に移すことなのだろう。
自己中心的だ。これは自分がそういう人間であるからというのも大きな要因になっているんだろう。
だからこれはあくまでも自分の考え。
言ってしまえば、この愛において相手のことは最優先事項ではない。
たとえ、自分の気持ちを二の次にして、その人の気持ちややりたいことを尊重して、一時は自分から離れてしまったとしてもその人を応援する、という行動も、結局は相手に自分を完全否定されたり一生自分に戻ってこなくなるのが怖くて、取る行動なのだと思う。
「愛の反対は無関心」って言った人は天才だな。
やっぱり人間はキリストではない。
自分に見返りのない打算がない行動なんてできることではない。少なくとも自分には。
見知らぬ他人に優しく接するのも、結局は、善はいずれ世の中をめぐって自分に帰ってくるなんて打算に基づいた行動なのだ。
ちなみにそれに自覚的であることは自分の行動をより良いものに更新していくために重要なことである。
Annihilation of Joy
希望と絶望は常にコインの表と裏の関係にある。
「ああ、あのときこうしていれば今頃は~」なんてことは何とでも言える。
そんなことは、言うなれば究極の後出しじゃんけん。
残念ながら、この世界の時間の流れは一方的でしかなく、ここに生きる人間はその流れに今のところ逆らう方法を見つけられていない。
起きたことは取り返しがつかない。
前を向いて歩くしかない。
だから。
時には、そんな希望は「F*ck it」とかなぐり捨てて突き進んでしまえ。
だってそうするしかないんだから。
「皆 ”何か” に背中を押されて地獄に足を突っ込むんだ。大抵その ”何か” は自分の意志じゃない。他人や環境に強制されて仕方なく、だ。ただし自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ。その地獄の先にある何かを見ている。それは希望かもしれないしさらなる地獄かもしれない。」
なんてセリフもある。
自分が招いた結果として今離れてしまっている人。
どう声をかければ自分の気持ちが伝わるか、
どうすれば前の関係に戻れるか。
そんなこと、何か行動してみないと分からない。
上手くいけば「ああしておいて本当に良かった」と安堵し、結果が悪ければ「あのときこうしておけば」と自分のした行動を恨むだけだ。
面倒事に背を向けてしまうのは自分だけでなく人間の性かもしれない。でもそれに対して、これからはちゃんと向き合っていきたい。
これからは、先のことを見据えて、その結果自分の希望が実らなくても、自分から、行動していきたい。
地獄を見る覚悟はできた。
まあ、上手くいったら、こんな大それたこと書いちまったな、なんて話のネタにするんだろうな。