それでも自分が好き


今回は、『わたしは最悪。(原題: The Worst Person In The World)』という映画を鑑賞して思ったことをここで垂れ流したいと思う。

ちなみに映画を観ていないと(もしくはあらすじを知らないと)、何を話しているのかわからなくなるかもしれないので予め注意しておく。

結局自分が映画を好きになれるかどうかの決め手はその映画にどれほど共感できるかどうかだと思う。
もちろんこの映画の演出や音楽やストーリーは好きだけれども、それは譲れない。

21歳の現在の自分にとって、「人生」というテーマは一番のホットトピックであり、最も興味が沸く話題なのは間違いない。
主人公のユリヤが抱える数々の漠然とした「悩み」(30という年齢、老い、新しい家族を始めること、父との関係など)は、年齢・性別は違えど自分も思うところがあり、自然と感情移入できた。
オスロの街はほんの少しだが行ったことがあったから初めのカットから親近感が沸いたということも、理由の一つになるのかもしれない。

ちなみに下はオスロに行ったときの写真。

オスロ駅の前にあるオペラハウス
オペラハウス前の水辺。
奥の建物は劇中に背景として何回か映ってた



「他人を想え」「人間関係を大切に」という自己中心的な態度は、程度にはよるが社会的倫理観から見れば誉められたものじゃない。場合によってはそれこそ、「わたしは最悪。」と、思うだろう。
だがどんなに他人を大事に思っても、一番大切にしなければならないのは自分自身なのだ。
己の最優先事項は己自身。
実際、この映画の評価にも「どこが最悪なんだ」という声がある。それでいい。

人生をものに例えるとするなら、人間関係という名のいつまでも続く音を自分という名のレコード盤に刻み込む蓄音機、とでも言えるだろうか。
自己愛と自己嫌悪が表裏するレコード盤。それが人間というもの。

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