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2022年10月からの一年の振り返り

〈2023/10/31の投稿を推敲して転載〉

駅前で喋る様子

今年1月の街宣。
この頃は行き場のない不満や焦燥感を晴らしたかったんだと思う。芸のない喋りを立ち止まって聞く人はほとんどいなかった。界隈の賛同や承認を得られても、世間が作り出す問題に対立した時点で間違っている。

僕がいわゆる気づいたみたくなったのは去年の10月頃とかなり遅い。たまたまコロナやワクチン関連の動画を観て疑問に思い始めたのがきっかけ。そこから情報収集するようになり、最初は陰謀論にはまった。

大学二年のときに課題で書いたエッセイ
エッセイのあるページ

画像は大学二年のときに課題で書いたエッセイ。こんなふうに昔から世の中の当たり前に疑問だったことが多々あり、常識の逆を行く論調にはほとんど抵抗がなかった。むしろ情報収集するほどそれまでの反社会的な一面が肯定されていく気分だった。その勢いと判断力の甘さから、なんでも信じた。フラットアースやネセラゲセラにもいっとき夢中になり、右も左もわからないまま情報に躍らされた。この時点では界隈の価値観のグラデーションも区別がつかず、反ワク全体をよく知らないまま聡明な人たちと思っていた。そんな中、ワクチンに反対するのは真っ当だと気持ちが決まってからは、できることをやろうと思った。それが去年の12月末。糖代謝アップが後遺症対策になると聞いてからは健康についても話すようになった。

街宣で使っていたポスター

数ヶ月の間、いろんな情報を見比べ、信じたりやっぱり違うと思い直したりしているうちに、界隈のある精神構造に思い至った。例えばそれは、何かに反対する連帯の心地よさ。連帯の原動力は誰かのためよりまず自分の承認欲求。いつしかその雰囲気に取り込まれ、反ワクに熱心なら何でもワクチンの話題ありきになる。結果、三年以上経った今でも他人の接種ばかりを気にかける。また、ワクチン関連のみならず衣食住や精神性においても世間の間違いを指摘し、見下すことをコンテンツのように楽しむ人。大勢の人が死に、これまでの社会が裏側から崩壊していく様子をお祭りのように楽しんでいる人。僕はそういったネット上の人々の様子を見て、このように感じたこと自体、全て僕がそうであるからだと思った。活動の裏腹にあったのは昔から生きづらく憎かった社会。その構成員がどんどん死ぬかもしれないことを内心喜び、それでも表面的には何かを訴え良いことをした気になる、形を変えた復讐。そんな風に社会に適合できず未承認な自己を抱えた大勢の僕を、どこにでも見出していた。だから活動をしたとて、未承認な自分と徹底的に向き合わない限り、一生虚しい。コロナやワクチン関連の問題を自分が承認を得る手段として利用することが馬鹿馬鹿しくなった。
ある僕はなんでも日本の政治が悪い、政府は役立たずと言いながら呑気に納税(投資)し、自分では行動の一つも起こさなかった。またある僕は食品添加物や農薬に気をつけて食べるものに過度にこだわりながら、自分で畑を耕すことをしなかった。さらにある僕は電磁波やシェディグを気にして病んでいきながら、根本にある人間嫌いや認知の歪みとは向き合わなかった。ある僕とは、全て僕のある一面だった。誰もが少しずつ歪んでいて、その歪みのストレスを自分以外の何かを標的に発散していた。僕は心からそういう他責的な思考を自他問わずつまらないと思ったが、そんな中でも絵や音楽や科学の研究など、ジャンル問わず自分の興味関心を追求している人もたくさんいた。そのことに当時殺伐としていた僕は励まされた。自分は何をやりたかっただろうと思い返した。するとまず最初に、本当はちゃんと絵を描いて上手くなりたかったことを思い出した。二年ほど描いてなかった絵をまた描き始めた。次に歌を歌いたいと思った。バク転ができるようになりたいとも。ギターが弾けるようになりたい。この世界に対してもっと理解を深めたい。整体で人の体を解せるようになりたい。畑を耕したい。セックスをしたい。それらのやりたいことと、できるだけ自分を偽らず向き合うことにした。だからあるときは真面目に考察し、あるときは不真面目に下ネタも呟く。
自分が際限なく自由を目指す度に思考の幅も開放されていった。それまでの僕は自由なSNSという場でも、役割を見つけて一定の投稿を行っていた。でもそもそも生命とは一定ではない。常に螺旋を描きながら、そのありようを心身ともに変化させている。これを様々な要因(仕事や育児など社会生活全般)で一定にしようとするから心身に歪みを生じさせ、螺旋のリズムが狂って複雑になり、その反作用がストレスとして行き場を求める。これを最も簡単に解消する方法が、例えば自分よりも馬鹿だと思う人を批判することだったり、誰かのせいにして満足することだったりする。そうして発散された歪な波は澱んだ感情として伝播しながら、ときに誰かを不快にさせてしまうかと思えば、別のところでは誰かの共感を呼ぶ。歪な波も反響し、螺旋を描く。そうした歪められた波の増幅と、それらへの対処の蓄積が表面的な共感や利便性を生みこの社会を築いてきたんじゃないか。
結局、少しずつ誰かのせいにできる世の中の構造がこういう事態を作っていると思った。これまでそんな社会に適応できずにいたから、そのモヤモヤが一気に発散された三年間。虐げられていると感じていたから憎かった。その環境を作り続ける憎い人がたくさん死んでいくことに安心していた。これで自分の居場所ができるかもしれないって、喜んでいた。世の中は明らかに間違っている。その間違いに従順でいる人間が死にやすい。全自然というスケールにおいて、それは悲しく残酷かつ愛でたいことなのかもしれない。これまで虐げられてきたと感じてきた一面が、一部では当たり前になっていく変化が嬉しい。人がたくさん死んでいく事態を、弔いながらも祝えばいい。嫌悪感があるだろうか。僕はある。ただ美しいばかりが生命ではない。人殺しを計画する支配者なる者がいても否定はできない。それは常に僕らの一部だからだ。対立しない。知ることは大事だけど、対立するほど呑み込まれる。たとえ対立しても、その場所は国の扶養の中。反抗期に親に逆らったって、守られていることには変わりがないように。たとえ国という単位で国民が飼い殺しにされていても、お世話になっていることには変わりがない。羊にとっては羊飼いが支配者であっても、はたして羊飼いは悪と言えるだろうか。
要するに捉え方の問題。世の中はいろんな人の都合で回っていて、自分にとって都合の悪い部分を切り取れば容易く陰謀になりうる。僕だってお金のために活動を手伝ったことがある。全ては各々の都合で、不都合は誰かにとっての陰謀へ。特に未承認な自己を抱えた人にとってはそこを指摘していくことが居場所を作る。単にそれぞれがそれぞれの都合で在り方を選び、ある場所にハマれば、社会はそれでうまく回っていくこと。他責的であることは共感を呼び、需要と供給を作る。ガス抜きといわれるのは政治だけじゃなく、僕らが自分の生活を変えず政治に文句を言うのも自分のガス抜き。少しずつ誰かのせいにして、自分で生活を請け負えないことの連続が今の世情を支えている。これを拒むなら、あらゆる意味で自立して己を立てるしかない。人様に頼ってもいい。お世話になっている環境を憎まず、まず自分が本当にありたい自分に向き合うということ。

おわり

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