おにちゃんの自己紹介 Vol.18
【人生を変えた僕と英語のストーリー(Episode 1)】
〜 絶望の中にこそ希望はある だから僕は英語を教える 〜
ーー僕を救ってくれたのは他でもない「英語」だったーー
■天からの声
僕は山口県萩市という城下町の田舎町で生を受けた。
明治時代、かの有名な吉田松陰先生が松下村塾にて数々の名士を輩出したことで有名な町だ。
僕は10歳の時に、初めて「英会話スクール」に行き始めた。
スクールといっても、なんと、バン(大きめの車)の中でレッスンをするという、なかなか面白いものだった。
「英語を始めたきっかけは?」と、良く聞かれるが、実は全く記憶がない。
(今思えば天声だったのかな、と思う)
母親曰く、
「突然自分から、『英語が喋りたいから塾行かせて!』って言って来た。」
だそう。
(何かが突然降りてきたのかな)
中学校3年生の時に、僕はいじめられた。
仲の良かったグループから村八分にされ、学校に行けば、殴られた。笑われた。
先生は助けてくれなかった。
親にも、何も言えなかった。
僕は、「先生になろう」って決めた。
どんな子どもも見逃さない、見捨てない、救う。
誰からも慕われる、そんな先生になる。
そう決めた。
(これも天命だったんだろうな)
■人生の転機
それから高校では、学校での英語の授業はもちろんのこと、英語塾でも、めっちゃ勉強した。
そんなある日、高校2年生の夏。
「マレーシアに1ヶ月、ホームステイに行きませんか?」
と、学校の掲示板に見つけた。
何の迷いもなく、すぐに母親に「母さん、これ行きたい!」と告げると、母親は、「ちゃんとやることやってたら、あなたのやりたいようにしなさい」と、言ってくれた。
そして17歳の夏休み、僕はマレーシアに飛び立った。
これが、僕の人生の分岐点だった。
自由に空を飛び回る鳥が、鳥かごの中に閉じ込められるように、自分らしさを失い、表現することに臆病になっていた僕を、完全に救ってくれた。
それが「マレーシア」という地だった。
■17歳、マレーシアでの生活
マレーシアといえば、東南アジアにある国で、多民族国家であり、人口比では、マレー系、華人系(中国系)、インド系の順で多く、話す言語は多様である。
何が言いたいかというと、「英語」が公用語ではないのだ。
(準公用語)
そのため、みんな話す言語はバラバラで、英語もアメリカやイギリスと比べて、聞き取りやすい。
英語が第二言語の国の人々とは、コミュニケーションが取りやすい。
なぜなら、お互いにメインの言語ではないため、お互いの気持ちを理解し合おうとする姿勢があるからだ。
どれだけ英語が好きで勉強してきた僕も、実際に日本で「英会話」をするシーンは実生活の1割に満たない程度だったし、海外での生活は初めてだったので、自信満々か、と言われれば、不安しかなかった。
実際に行ってみて、もちろんうまくコミュニケーションが取れず、きつかった時もあったが、初めての海外生活だった僕にとっては、言語のハードルが欧米に比べて低く、いい緊張感で楽しむことができた。
ホストファミリーのお家を1ヶ月の間に6件回ったが、どの家も、どのファミリーも、あったかかった。
そして出会う人たちはみんな、ありのままの、自然体の僕を、受け入れてくれた。
優しい世界だった。
(Episode 2へ続く)