【おにちゃんファミリー会を4年も継続できた理由】


おにちゃんファミリーが、本日2024年1月11日で、4周年を迎えました!

ありがとうございます!

▼ どういう経緯で?
第1回目は、2020年1月11日。たまたまですが、ちょうどコロナがやってくる直前でした。
今から約8年前、2016年に僕は病気になり、その次の年の2017年中学校教師を辞め、オーストラリアへ旅立ち、2018年に帰国し、1年間の会社員ののち、2019年7月に「O-EN」の屋号で個人事業主として独立起業、そしてその半年後の2020年1月に第1回「おにちゃんファミリー会」を開催しました。

▼ なぜ続いてるのか
・好きなことである
・やりたいことである
・違和感がない
・使命を感じる
・喜びである
・ワクワクである
・幸せである

▼ 何がそう感じさせるのか
・参加してくれる人たちへ気づき発見を与えること(学校のような感覚)
・参加してくれる人たちとの繋がりをを作ること(家族のような感覚)

▼ 大きな分岐点・きっかけは?
約8年前に中学校教師をやっていた時に、体と心の病気と手術を経験したこと。

▼ 原因は?
・人に頼れなかった(人に頼るという選択肢がなかった)
・全部一人でやろうとした
・人に弱音を吐けなかった(人に弱音を吐いていいという選択肢がなかった)
・我慢しまくった(夢だった教師になったから、逃げるという選択肢がなかった)
・体を大切にしなかった(自分の時間がないからまともな食事もとっていなかった)

そして何より、「自分の(心の、本当の)声を無視し続けた」。
ここに一番の病気になった原因があるんじゃないかと思っています。

自分のことと同様に、他の先生たち、親、子どもたちも、同じように悩み苦しんでいる人たちがたくさんいるんじゃないだろうかと思っていました。

▼ 心や行動がどう変わった?
教師を辞めて、生きづらかった世界から飛び出して、海外に行ったことで、「本当の自分」で繋がれる家族のような仲間(コミュニティ)ができたことが大きかった。
それは、「同じような考え方、心境、環境、状況、価値観を持った人との共同生活」が大きく影響していると感じます。
「自分と同じように悩んでいる人って、たくさんいるんや!」という安心感。
「自分と同じように、バカやっても笑ってくれる人がいるんや!」という安心感。
「こんなにもだらしない、気分屋で、マイペースで、しょぼくて、ださい自分をさらけ出して生きてる人って、こんなにたくさんいるんや!」という安心感。
「自分のやりたいことや信念、情熱、使命、夢を語って生きてる人間ってこんなにいるんや!かっこええ!」という安心感。
そんな人々が集まれる「空間」を作りたいと思いました。
当時(2018年、6年前、28歳)は、「ゲストハウス」とか「学校」っていう形で表現してましたね。

▼ どんな世界を創っていく?
「一人で生きない世の中を」って思ってますね。
一人じゃなくて、みんなで作っていきたい。
一人じゃなくて、みんなで助け合って生きていきたい。
一人じゃなくて、みんなで応援し合って生きていきたい。
人はそもそも一人では生きていけない存在。
ある本に書いてました。「自立とは、人に依存することである」。
僕はこの表現に衝撃を受けました。
「自立」とは「人に依存せず、自分でなんでもできるようになること」だと思っていたんですが、全くの逆でした。
むしろ、「自立」するということは、「頼れる人が周りにたくさんいるという状態」だということなんです。
ここで勘違いして欲しくないのは、「依存」ということは、みなさんが思っている「執着」のような悪い「依存」ではないということです。

▼ おにちゃんファミリー会では何をしているの?
ここ結構気になっている人が多いかと思います(笑)
ですが、正直にいうと、「なんでもOK」なんです。
「なんでも」というとそれはそれで語弊があるので、ちゃんと説明していきますね(笑)
一言で言うと、先程少し述べたように、「みんなの価値観を共有する場所」と言うのが一番の根底にあるのかなと思いますね。
そしてその次に、「おにちゃんの話を交えることで、普段よりも一段階や二段階、いや、僕の勝手なイメージとしては十段階ぐらい深い話になる」んじゃないかと思っています。
実際にやることとしては、一緒にご飯を作ったり、一緒にご飯を食べたり、自己紹介したり、語ったり、としか言えないんですが、特に話す順番や、話さなければいけない内容、ワークなど、そういったものは基本的に用意してないんです。
ここにも一つちゃんと意味があって、「余白」なんです。
ぜーんぶきっちり時間や内容を決めちゃうと、「余白」がなくなるんです。
もちろん決めることによるメリットもあります。
しかし、いろんなところに「余白」を持たせておくことで生まれる「なにか」があるんですよね。
僕はこの、説明できないような、言語化できないような、微細な感覚的な「なにか」を、実は結構大切にしてる気がするんですよね。
だからこそ、おにちゃんファミリー会のコンテンツは「特にない」のです。
強いて言えば、コンテンツは「人」。その時の、絶妙な感覚を察知して、当日その場に来てくれた「人」で、その会の「色」が決まっちゃうんです。
だから僕は、当日リアルに来てくれた人と共に、「おにちゃんファミリー会」を創っていきたいなと、いつも思っています。

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