おにちゃんの自己紹介 Vol.12

僕は月に1回ぐらいの頻度で

「俺は生きる価値がないんじゃないか」

と思う日がある


「誰からも連絡が来ない」とか

「何もおもしろいことが思いつかない」とか

「コーチングを受講することが決まった人からキャンセルがあった」とか

「物事が思ったように進まない」とか

そんな時によく起こる


今結構それ気味


こういう時の対処法って、自分の中ではまだわかってないんだよな〜


基本僕は

「何かを変えるためには何か自分から行動しないといけない」

と思っている

でも、極端にこう感じてしまってる時って、本当に何も見出せない

「何かって言われても、、、」

って、自分につっこんじゃう


不安があるわけじゃない

でも、「何か変えないと!」っていう焦りみたいなものはあるかも

でも「焦ったってしょうがないぜ」っておもってる自分もいる

そういう時はとにかくだらだらしてるし、何も動かない


でも、何か少しでも変えようと、小さい「何か」を、できる範囲でやってみたりする

例えば、こうやって、noteに自分の気持ちを思いつくがままにアウトプットしてみたり


その中で見えてくることもある

小さな小さな「光」みたいなものが

「そこかな〜?」と思って、ちょっとだけ手を出してみる

気づけば何かが動いちゃってる時もあるし

あとになって気づけば、「ただただそういう何も進まないときはあるよね」っとも思う


「進む」があるからこそ「止まる」が存在する

逆を返せば

「止まる」があるからこそ「進む」を感じることができる

そう思えば

「俺は生きる価値がないんじゃないか」

って時に思うことさえも、人生にとっては必要なことなのかもしれない


「価値がない」があるから「価値がある」がある

価値を探そうとするし、生み出そうとする

「価値ってなんやろ?」って、考えたりもする

時には、初心に帰れたりもする


「俺ってなんのために生きてるんやろ?旅するため?誰かを幸せにするため?平和に生きるため?冒険と刺激を体験するため?頭が良くなるため?お金のため?ゆっくり生きるため?」

これに答えはない

が、考える


誰かが言ってた言葉が聞こえてくる

「人はヒマな時にネガティブになる」


本当にそうかな?

別に僕はそうはないと思う

どれだけ忙しくしてても、ネガティブになる時はネガティブになるし、そもそもネガティブがあるからポジティブがあるっていう意味では、ネガティブも必要なのかも


僕は人と話している時は、すべてをポジティブに変えることのできる天才だと自負してる(一瞬の時もあれば、それが長期に渡る時もある)

それってたぶん僕が

「今までにちょーーーーーーーーネガティブを経験してきたから」

なのかもしれない


よくある質問で

「〇〇さんって、基本ネガティブなん?ポジティブなん?」

っていう会話がある

僕は自分では「ちょーーーーーーーーネガティブ」だと思っている

でも、周りからしたら「いやいやww  あなたのどこがネガティブなんですか?ww」っていうぐらいのテンションで返されるときがあるww

でも僕は正直「どっちでもない」とも思っている

なぜなら、完全に「どっちか」に振り切っていることはないと思っているから

「ネガティブ」な日(時)もあれば、「ポジティブ」な日(時)もある

この世の全ては「バランス」で成り立ってる


日本を知りたいなら世界に出る

自分を知りたいなら他人と関わる

愛を知りたいなら愛じゃないを体験する


僕は基本的に、「何事も全て体験したい!体験したことしか語れない!」とベースに思って生きている

中学校の教員をしていた時は、子どもたちに教えらえることなんてほとんどなかった

なぜなら、「学生あがりの身分で、社会のことも、世界のことも、何も体験したことがなかったから」だ

だから、教師を辞めて、オーストラリアに行って、1年間生活した

その時は、魂震えたな〜


今はそんな、「魂震える体験」を求めている

平凡な毎日なんて、糞食らえ


と、言いながらも、「生きているだけで幸せ」と思える自分も同時に存在する



さあ、刺激的な毎日よ、おいでなさい


僕は心の扉を開いて、待ってますよ


待ってたってこなけりゃ


自分でつくるしかねえか



fin.

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